一法学生の記録

2014年4月に慶應大学通信部に進んだ法学生の記録である
(更新)2017年4月に神戸大学法科大学院へ進学しました。

江戸の刑事手続き

2016-10-01 20:16:02 | 日本法制史Ⅱ
江戸の刑事手続き

 今でいうところの警察、検察、地方裁判所の役割を一手に引き受けていたのが、寺社奉行、勘定奉行、町奉行(江戸市中)という、組織であった。寺社奉行は、将軍直下に属し、寺社を中心に、キリシタンや、陰陽士の取締りまで、していた(その他、寺社は江戸時代、重要な行政職務を担った)。勘定奉行は、幕府の租税徴収の拠点、税務署であり、おもに江戸市中を除く直轄領の刑事手続きを、担当した。町奉行は、江戸市中の治安維持、刑事・司法組織である。

 奉行にはそれぞれ手限(てぎり)と呼ばれる司法裁量権があり、裁判権を行使できた。この手限を超える事件につき、御仕置伺(又は、吟味伺書という)を、評定所に提出した。評定所は、老中、三奉行、大目付などによる審理機関であり、重要事件には、一座掛けという合議制で行うが、通常は、主任奉行の単独裁判であった。

 さて、勘定奉行を例にとり、奉行所の構成を明らかにしたい。奉行所は、訴訟一般を受け付ける公事方と、租税・検地および航海中の犯罪を所管する、勝手方という、組織が存在した。なお、評定所との調整役として、勘定吟味役のもとに吟味物調役が、両方を出入りした。また、直轄領を超えて、逮捕権を有する、関東取締出役という、特殊警察がいたことも、付言しておく。

 公事方・勝手方の内側は、与力・同心と呼ばれる実務方がおり、実際に捕物を行たのは、目明しとよばれる、非正規職員であった。目明しははじめ、囚人であり、司法取引によって、いわば徴発された人材であったが、後に名称だけが残り公認された?。

 裁判は、吟味筋(刑事事件)と、出入筋(民事事件)とよばれ、前者は吟味物とよばれたりしたが、とりわけ出訴の手続きに関しては、刑事犯罪は奉行所が公訴権を有し、取締りを主導し(職権主義);いっぽうで、民事手続きは本人が訴えるまでは動かない(当事者主義)が取られたが、事件の系列が異なるときは、筋違いとして、吟味筋に回された。

 吟味筋の手続きをざっとなぞれば、①逮捕→②吟味→③刑の執行と言う流れだが、①目明しが捕物をし、②与力・同心が取調べ・勾留先の決定をする。自白が必要だったので、肉体的苦痛を与える責問、あるいは口問とよばれる拷問が許された。調書は口書とよばれ、自白が得られたものを自詰、なければ察度詰とし、後者は刑が一等軽減された。被害届、剣使書、検分書なども扱われ、現在の警察制度との連続性が垣間見れる。判決の申渡しは落着と呼ばれ、手限の範囲内であれば、公事方御定書などに準じて刑罰が決定され、一審終結した。③刑はただち執行された。

 なお、武士は、1万石以上の家格については、三手掛け・五手掛け、あるいは詮議とよばれる(お目付け以上の)手続きに手、決し、刑罰も異なった。

 以上

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