社会的存在としての人格
佐藤幸治『現代国家と人権』では、社会の発展段階に応じて、プライヴァシーの権利が自由権的な内実を獲得しつつ、請求権的な側面を持ち合わせて来ていることを叙述する。"right to be let me alone(ひとりで居させてもらう権利)″は私生活の静穏を保護するものと解されているが、人が、社会的存在としての関係のなかで人格を形成していくという意味では、完全な私生活の静穏を確保することがその人の幸福追求に合致しないのは明らかである。このため、該権利によって保護されうるプライヴァシーの内容は「センシティブ情報(または固有情報)」と呼ばれる秘匿性の高い情報に、限定されるのは判例が示すとおりである。
現代国家は近代国家とは違って、その社会で営む人間像を抽象的に捉えるのではなく、具体的な生身の人間像を求めようとする傾向がある。つまり、労働者として、契約の当事者として、あるいは個々の事情に応じたマイノリティーの立場として、国家はそれぞれの人間像に対して憲法の保障する諸権利を確保するために、積極的な介入を行うべき期待を背負っている。プライヴァシーが持つ積極的な側面は、まさに巨大化する国家の配慮に依存せざるを得ない国民が、そのなかで自律的存在として共生を図ろうとする一手段であると解することもできよう。
以上