一法学生の記録

2014年4月に慶應大学通信部に進んだ法学生の記録である
(更新)2017年4月に神戸大学法科大学院へ進学しました。

人間の本質

2015-11-29 21:46:17 | 一言
人間は大抵の時間は馬鹿であるけども、一定の短い時間だけ、知性が蘇ることがある、それは、生を求めるとき、職業上の極めて重要な局面にあるとき、大切な人が去っていきそうなとき、そして、試験前の一夜漬けをするとき、である。
結局にところ、堕落した存在であることを、露骨に表明することを、憚らないのである。

社会的存在としての人格

2015-11-28 16:41:50 | 憲法(J)
社会的存在としての人格

 佐藤幸治『現代国家と人権』では、社会の発展段階に応じて、プライヴァシーの権利が自由権的な内実を獲得しつつ、請求権的な側面を持ち合わせて来ていることを叙述する。"right to be let me alone(ひとりで居させてもらう権利)″は私生活の静穏を保護するものと解されているが、人が、社会的存在としての関係のなかで人格を形成していくという意味では、完全な私生活の静穏を確保することがその人の幸福追求に合致しないのは明らかである。このため、該権利によって保護されうるプライヴァシーの内容は「センシティブ情報(または固有情報)」と呼ばれる秘匿性の高い情報に、限定されるのは判例が示すとおりである。

 現代国家は近代国家とは違って、その社会で営む人間像を抽象的に捉えるのではなく、具体的な生身の人間像を求めようとする傾向がある。つまり、労働者として、契約の当事者として、あるいは個々の事情に応じたマイノリティーの立場として、国家はそれぞれの人間像に対して憲法の保障する諸権利を確保するために、積極的な介入を行うべき期待を背負っている。プライヴァシーが持つ積極的な側面は、まさに巨大化する国家の配慮に依存せざるを得ない国民が、そのなかで自律的存在として共生を図ろうとする一手段であると解することもできよう。

 以上

ミル『自由論』の一節

2015-11-22 18:59:16 | 日記
ミル『自由論』の一節

 「社会が法的刑罰以外の手段を用いて自己の考えや習性を、それに同意しない人々に行為の規則として押し付けようとする傾向や、社会のやり方と調和できないいかなる個性の発達をも阻止し、できればその形成を妨げ、全ての性格に社会自身を模範として自己を形成するように強いる傾向に対する防衛も必要である」

 J・S・ミルは、河合榮次郎を読んでいて出会ったのである。ジェレミー・ベンサムの申し子として育ったミルは功利主義の代弁人として、刻々と深刻化する社会の不平等に対して、自由主義を標榜しながら、自由主義の修正を果たさんとして功績をあげることになる。
 
 佐藤幸治の自律的人格権の辺縁をも掴めない段階であるが、人格と言う言葉の持つ独特の意味につてい考えさせられるとき、そこには理想主義的文脈における人間の成長のみならず、現在的文面において身近に感じられる問題提起が、冒頭の一節に含まれていると思われる。

 社会は強制を孕み、それは確かに私の細胞にも刻み込まれている。強制のみなもとは集団にあるのではなく人間個人に宿っている。人格という用語もそれに近い響きのなかにある一種の強制のようなものではなかろうか。

 以上

佐藤幸治『現代国家と人権』 

2015-11-22 18:33:06 | 憲法(J)
佐藤幸治『現代国家と人権』 

 佐藤幸治著『現代国家と人権』を、慇懃に拝読している。第四章プライヴァシーの権利(その公法的側面)の憲法論的考察では、アメリカ合衆国におけるプライヴァシーが問題とされたイシューについて、判例を中心に詳細な検討が加えられている。新たな社会現象・人々の意識変化に対応して現れる事象(事件)について、連邦最高裁の数々判例を詳しく比較し検討することにより、合衆国修正諸条が保護するプライヴァシーの意味内容が明らかになっていく。

 以上