星蜜記

ホシ蜜と申します。リンパ浮腫、乳房再建、食べ歩き、ワンコ(柴7歳)のことなどあれこれ思うままに綴っています。

そして私は覚悟を決めた

2021-09-01 23:59:10 | 記録
ヘルパーさんに生活支援をお願いするのはダメなの?」の最後に書いたように、じじぃ宅訪問を8/9~11の3日間休んでしまった。(一泊のちょい旅に行ったりしていたので。)
1日の夕方、姉に明日はじじぃ宅に行きますというラインを入れた。
そうしたところ、
「昨日PCR検査にいき、いま陽性の連絡ありました。」
ですって!
あぁ、家庭内感染…。姪に続いてその母である姉も新コロに。
やっぱりね。こんなことになるんじゃと容易に想像がついたから、早めにじじぃのことをショートステイなりヘルパーさんなりにお願いする算段をしてほしかったんだよな。
あわせて、じじぃが薬をセットしておく週間カレンダーをなくしてしまったので、探してほしいということも書いてあった。
じじぃは薬を飲み忘れるだけでなく、なぜか薬をどこかにしまい込んでしまうくせがある。探すのが大変。
こういう薬の管理ができないというのも、十分に介護サービスを利用する案件だと思うんだけどなー。

で、翌12日。また姉からラインが来た。
「おじいさん(=じじぃ=父)に症状はありませんが、念のため家には行かなくてよいです。」「もしできたら、お弁当やパンをベランダに置いていただくのはどうでしょう。」
そして、体温計の音がよく聞こえなくて体温が測れないようなので、音の大きい体温計を探して買って行ってほしいって。
ほらー、食事も体温も自分でできないんだから、やっぱり介護サービスたのんでよ。私には十分なことはできないと言ってあったのに、なんか当てにされている感をビシビシ感じるんですけど…。激しく果てしなく嫌な予感しかしない…。

実際に3日振りにじじぃのご機嫌伺いに行ったら、やっぱり何日か人と接していなかったので認知症の調子もけっこう悪そう。頭があまりはっきりしていなかった。
ゴミも洗濯物もたまっているし、まともな食事もしていない様子。
一通り掃除をし、ご飯をたくさん食べてもらって、帰りにはゴミと洗濯物を合わせて45リットルのゴミ袋4個分を持ち帰った。
これはひとりで放置しておくわけにはいかない。なんとかしなくては…。

翌13日に姉にラインで「このような緊急事態になっても、ケアマネさんは自立させるという方針を変えてくれないようでしょうか」と、尋ねてみた。
それに対する返事は、「ケアマネさんも何度か訪ねてくれていますが、変わったことはなかったようです。私が回復して元のように毎日フォローすれば安定してくるのでは。そうしたいと思います。早く良くなるようつとめます」という返事。
ケアマネさんは本当に来てくれてるのか? 来てくれているとしたら、何を見ているんだ? そうして、姉の回復した後ではなくて、今どうするのか?という喫緊の問題になぜ向き合ってきれないのか? そういった激しい憤りで、姉に厳しい言葉を投げかけてしまった。
「薬の管理もできないし、体温もろくにはかれなし、花はカビだらけ、ゴミも洗濯物もためたまま、トイレの便座カバーは汚れで不衛生。それなのに何も対応してくれないとは。使えないケアマネさんですね。驚きです。」
本当はケアマネさんではなく、姉の対応がひどいと言いたかったけど、ワンクッションおいてケアマネさんのことだけ言った。そうすれば姉が傷つかないかと思って。新コロで体調悪いのかもだし…。
それに対する返事。「すみません、今まで私が全部フォローしていたので。」
!?
ちょっと何言ってるかわからない。意味不明。完全にわけわかめ《(@_☆)》…ア、メマイガ
私は姉になんとかわかってほしくて、「今までのことを言っているわけではなくて、今、この緊急事態下で、お父さんに何が必要なのかということです。「今まで」とかこの先のことではないです。今です。」とメッセージを続けた。
それに対する返事は「横浜と横須賀は介護に関してまったく違います。」というものだった。ますますわけがわからなくなった。この人は何を言っているんだろう。
そこで気付いた。新コロの症状には記憶や認知や思考の低下と言う症状があるらしい。もしやそれでまともな会話ができなくなっているのでは?
この後、姉への連絡は控えた。
そして、しばらくの間は私がじじぃを守ろうと覚悟を決めた。



介護のための横須賀通いの間、ちょっとした楽しみを見つけるようにしていた。
そのひとつが護衛艦を見ること。

「いずも」です。海も空もきれい。気持ちが凪ぐ。
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コメント (2)
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