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「90年代最高の投手」を生み出した「出会い」

2006年02月10日 | Baseball/MLB

(プレーヤーとして、監督として藤田元司氏は偉大な業績を日本球界に残した)

評論家時代の斎藤雅樹・現読売ジャイアンツ投手コーチにインタビューしたときのことだ。彼の経歴を記したメモに視線を落としながら、思わず私はこう斎藤に語りかけた。
「やはり人生には『運命』というのがあるんですね。もし巨人軍があの年、すんなりと荒木投手を1位指名していたら、斎藤さんの人生はまったく違ったものになっていたかもしれない」
斎藤は深く何度もうなずいていた。


1982年秋のドラフト会議。読売球団が1位指名入札を行なったのは、甲子園の大ヒーロー、早稲田実業高のエース荒木大輔(現・西武ライオンズ投手コーチ)。しかし交渉権をヤクルト・スワローズにさらわれ、「外れ1位」として指名したのが、市立川口高校の斎藤だった。斎藤は埼玉県予選決勝で惜しくも敗れたものの、関東屈指の本格派投手としてドラフト前から評判が高かった。
しかし入団後の斎藤はファーム暮らしが続き、二軍の試合でも期待された成績を残すことができずにいた。ある日、ファームが練習を行なっていた多摩川グラウンドに、当時の監督だった藤田元司が姿を現す。試合がなかったこの日、斎藤の様子を見に来たのである。斎藤の投球フォームを見た藤田は、オーバースローの腕の振りと腰の回転が噛み合っていないと判断し、サイドスローへの転向を勧めた。この決断は功を奏し、不安定だったコントロールや球威のばらつきが改善され、王貞治監督が就任した84年には一軍に昇格して4勝、85年には12勝をマークする。しかし、その後は3年間でわずか13勝、チームがリーグ優勝した87年は1勝もできず、完全に伸び悩んだ。そこへ解任された王の後任として再びユニフォームを着たのが藤田だった。
89年、藤田は開幕から斎藤をローテーションの柱として使い続け、ピンチに陥った場面でも簡単には降板させなかった。
「もうダメだと思ってベンチを見ても、藤田さんはわざと視線を合わせないんですよね」
そんな試合が続くうちに、斎藤は勝ち星と完投の数を積み重ね、同年5月10日から7月15日にかけて、11試合連続完投勝利の日本記録を樹立する。この年、初の20勝、防御率1.62、30試合登板中完投21、完封7という驚異的な数字でチームのリーグ優勝と日本一に貢献した斎藤は、ベストナイン、沢村賞にも選ばれた。

もし、読売ジャイアンツが荒木の指名に成功し、斎藤が他チームのユニフォームを着ていたら、藤田との出会いはなく、サイドハンドへの転向もなかったわけである。さらに大器と言われながら伸び悩んでいたときに、再び藤田が監督として戻ってきたことも、斎藤にとっては幸運だった。最多勝5回、最優秀防御率3回、沢村賞3回、MVPなど数々の栄光に輝いた90年代最高の投手は、まさに藤田との運命的な出会いによって誕生したのである。同時に、藤田もまた斎藤との出会いによって、短い在任期間ながら合計4度のリーグ優勝と2度の日本一に輝き、殿堂入り監督の栄誉に浴している。慶應義塾大学、読売ジャイアンツでの現役時代を通じて「悲運のエース」とも言われた藤田だったが、投手コーチとしてV9に貢献し、監督としても二度の日本一を成し遂げ、最後には「栄光」をつかんだのである。

その名伯楽・藤田元司氏が、2月9日午後不帰の客となった。享年74歳。昨年の殿堂入り記者発表の際、金田正一氏の隣に座っていたのだが、かなりご健康がすぐれない様子で、すぐには藤田氏とわからないほどであった。現役時代は1957年に17勝で新人王、58年29勝、59年27勝で連続MVPに輝いたが、デビューからの3年間で924回2/3を投げた登板過多がたたって、現役生活はわずか8年でピリオドを打った。「大魔神」佐々木主浩の生涯の投球回数が627回2/3だから、その過酷さがうかがえる。それでも藤田の通算防御率は2.20という素晴らしさだった。
1958年の日本シリーズで激闘を演じた仰木彬氏、82年に藤田監督率いる読売と歴史に残るデッドヒートを演じてリーグ優勝を果たした中日の監督だった近藤貞雄氏と、かつての好敵手たちが、相次いで鬼籍に入られたのは偶然なのだろうか。ある意味、彼らの野球人生はそれだけのエネルギーをつぎ込んだ、情熱的なものであったともいえるだろう。

藤田さんのご冥福を心よりお祈りいたします。


※斎藤雅樹コーチのコメントがメディア各社に伝えられている。
「外出先で一報を聞いたとき、言葉をなくしてしまった。僕にとってはプロ野球界で最大の恩人。今の自分があるのは藤田さんのおかげだと思っている」
その心中、察して余りあるものがある。



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1 コメント

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Unknown (urata ryoichi)
2006-02-14 16:13:06
いい話しですね。

選手を育てる、育てられた選手が本当に恩人と感じる・・・この関係が、指導者の生き甲斐でしょう。



亡くなってから知れる話が多いの残念。

スポーツライターたちは、もっともっとこういう話を拾い出して、伝えて欲しいですね。特定球団にしか興味をもたない人でも、感動するもので、広い野球ファンを作ることにもつながります。

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