世界に散らばっていた母方のいとこ達が、日本に家を構えるようになりました。
帰国子女という言葉がまだ浸透していなかった時代の話を「発達凸凹っ子のエピソードみたい」と思いながら聞きました。
中学生で帰国したいとこは「変な日本人」として学校生活を過ごしたそうです。
当時ピアニストを目指していたいとこは、
「ピアノに自信がある人は?」と先生に尋ねられ、
「はい!自信あります!」と手を挙げた途端に、教室が
しーーーーーーーーーーん・・・・と静まり返り、
「あ、はっきり言っちゃいけないんだ」と、思ったそうです。
昭和50年後半の日本では、はっきり自己主張することがまだ珍しかったと思います。
「個性」が求められる時代までは、あともう少し。
空港に出迎えたA兄ちゃんは、帰国したばかりの1つ年下のT君にハグされて、びっくりして固まったそうです。
「その後、すぐ握手に変えてくれた」と、同時の様子を伯父から聞き、みんなで大笑い。
二人共、「覚えていないなあ」と首をかしげていましたが、まさに異文化だったのですね。
家に招かれたT君が伯父さんに初めて話しかけた言葉が、「ギブミーせんべい」だったそうです。
帰国子女という言葉がまだ浸透していなかった時代の話を「発達凸凹っ子のエピソードみたい」と思いながら聞きました。
中学生で帰国したいとこは「変な日本人」として学校生活を過ごしたそうです。
当時ピアニストを目指していたいとこは、
「ピアノに自信がある人は?」と先生に尋ねられ、
「はい!自信あります!」と手を挙げた途端に、教室が
しーーーーーーーーーーん・・・・と静まり返り、
「あ、はっきり言っちゃいけないんだ」と、思ったそうです。
昭和50年後半の日本では、はっきり自己主張することがまだ珍しかったと思います。
「個性」が求められる時代までは、あともう少し。
空港に出迎えたA兄ちゃんは、帰国したばかりの1つ年下のT君にハグされて、びっくりして固まったそうです。
「その後、すぐ握手に変えてくれた」と、同時の様子を伯父から聞き、みんなで大笑い。
二人共、「覚えていないなあ」と首をかしげていましたが、まさに異文化だったのですね。
家に招かれたT君が伯父さんに初めて話しかけた言葉が、「ギブミーせんべい」だったそうです。