本当は、昨日書きたかった日記です。一日遅れで投稿します。
表題は、1928年3月15日にはじまる天皇制権力による弾圧事件と、特高警察による執拗な拷問を描いた小林多喜二の作品です。雑誌『戦旗』に掲載されたものの、後に発売禁止となってしまいます。
現在は再版され全文を読むことができますが、発表当時は検閲のため、ところどころが伏字になっています。
青空文庫版の「一九二八年三月十五日」では、冒頭、わずか数行目の「××は臺所から――これは動かせない公式だからなあ。小川さん、甘い、甘い。」(ちなみに「××」は「革命」)にはじまり、全部で155ヶ所。なかには、警察へ連行される途中で「赤旗の歌」が歌われる場面で「民衆の旗 ×旗は・・・・・・」と、「赤」の字だけを伏せているというところもあります。
さて、途中の重要なシーンも伏字が多いのですが、小説の最後の部分は以下のように伏字だらけです。
××××××××××
××× ××!
××××××××せよ
×××××××。
一九二八、三、一五!
田中反動内閣×××!
××× ××
勞働農民黨 萬歳
萬國の勞働者 團結せよ
××××を覺えてろ。
××××を忘れるな
勞働者と農民××××××!
××××× ××!
・・・となっています。残念ながら手元に「一九二八年三月十五日」がないので、正確なところはわからないのですが、以前、読んだときの記憶を思い起こすと、「××××を覺えてろ。××××を忘れるな」のくだりは、「三月十五日を覚えてろ。三月十五日を忘れるな」だったような気がします(「××××」で4文字なので「三・一五」だったかも)。
「一九二八、三、一五!」「田中反動内閣」「勞働農民黨 萬歳」「萬國の勞働者 團結せよ」が伏字でないのに、どうして「三月十五日を覚えてろ。三月十五日を忘れるな。」が伏字になったのか・・・。その経緯は歴史学者や文学史、思想史の先生に譲るとして、私は、「三月十五日を忘れるな」と書いた多喜二の気持ちこそ忘れてはならないと感じるのです。
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