KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

被爆地ヒロシマを歩く~その3「広島城」

2011-08-08 19:33:47 | 戦争遺跡を歩く

 「8月6日の誕生日に広島に行きたい」・・・という衝動にかられてやってきた広島の街。原爆ドーム、爆心地、平和記念公園、平和記念資料館・・・と、見学をしてきました(その1その2参照)。 

 グラウンド・ゼロ(爆心地)の島病院の周辺を歩いていると目にするのが「大手町」の住居表示。松本でもお馴染みの「大手」の町名は、そこが城下町だったことを示しています。ここ広島は、安芸広島藩42万6000石の城下町。原爆ドームから徒歩10分ほどで広島城へ行くことができると聞き、足を伸ばしました。

原爆ドームと広島城の位置関係です(手前が北。平和記念資料館の模型)
赤い球体は原爆が炸裂した位置と高度をしめしています

 広島城は戦国時代末期に毛利輝元が築城、太田川と京橋川という天然の要害に囲まれた堅城です。毛利輝元、福島正則、浅野長晟と城主を変え、幕末まで浅野氏が城主をつとめました。「忠臣蔵」でおなじみの浅野内匠頭は、この安芸広島・浅野氏の傍系にあたります。

 広島城でいただいたパンフレットをみると、原爆ドームの北側、路面電車が走っている相生通りに沿って外堀があったようです。この堀に大手門があったわけですから、松本城でいえば千歳橋の南側、ちょうど時計博物館のあたりが原爆ドームといえるでしょうか。それを考えると、かなり大きな縄張りです。

ようやくたどりついた広島城の二の丸門
原爆の熱線と爆風で焼失したとのこと
現在の二の丸門は戦後、復元されたものだそうです

二の丸にあるユーカリの木
原爆の熱線と爆風、放射線にも耐えて生き残りました

 さて、この広島城には日清戦争当時、大本営が置かれていました。日清戦争後は大本営のあった建物は記念館として残っていたようですが、原爆の爆風で倒壊。軍事施設だったということもあり、戦後、その姿は復元されることはなかったそうです。現在は「大本営跡」の石柱と、礎石だけが往時の姿をしのばせています。

日清戦争の大本営跡地
ここまで来てようやく天守閣が見えました(写真左後方)

旧大本営の建物(上)と被爆後のようす(下)をしめすガイドさん

 大本営跡をすぎると、ようやく天守閣です。戦前は国宝だった天守閣ですが、原爆の爆風により倒壊、現在は鉄筋コンクリートで復元された天守閣がそびえています。松本城の内部が往時の姿をとどめているのに対し、こちらはエアコン完備。近代的な博物館を見学しているような印象を受けました。

安芸広島藩の中心、広島城天守閣

天守閣最上階から原爆ドームをのぞむ(円内)
原爆ドームの手前は旧広島市民球場

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