KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

一九二八年三月十五日

2016-03-13 11:44:04 | 日記・雑感

 「この日」が近づくと読みたくなる小説があります。小林多喜二の「一九二八年三月十五日」です。「この日」に何があったのかということを、あらためて思い返すと同時に、読んでいるときの気分や自分が置かれている環境によって受け取り方が異なるので、お気に入りの一冊です。

 多喜二がこの作品で描いた1928年3月15日は「共産主義者への大日本帝国政府による弾圧事件」が起こった日」(Wikipedia)です。いわゆる「三・一五事件」ですね。罪状は治安維持法違反ですから、弾圧の対象は「共産主義者」にとどまりません。「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」が弾圧の対象となりました。簡単に言ってしまうと、「主権在民」を主張しただけでも弾圧の対象になった・・・そういう時代だったのです。

 この小説を最初に読んだときには、天皇制「権力」が、いかに野蛮な暴力を行っていたかというところにしか目がいかなかったのですが、それにとどまらない多喜二のメッセージがこめられていると感じます。

 そのなかでも私が一番好きなのは、ほんの数行しか描かれていない場面です。検挙された活動家の龍吉と巡査の水戸部が会話をするというところなのですが、このシーンが何度読んでも「グっ」ときてしまいます。龍吉たちにとって巡査は、言ってみれば「敵」です。ところが多喜二はこの場面で、水戸部に語らせるという形で「官憲」が置かれている状態を告発します。「敵」どころか、ともにたたかうことができる「仲間」だという目線なのです。

 もちろん、多喜二が生きた時代と今日では社会の様相がまったく違っていますから、多喜二の目線を「物差し」にするのことはできませんが、いま生きている社会をどのように見るのかという洞察力と社会観には学ぶところが大きいと感じる作品です。

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