KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

広島慰霊の日(1946年~)/「東洋の魔女」の連勝止まる(1966年)

2012-08-06 19:11:50 | 今日は どんな日

 7月31日の日記に書いた(→こちら)「父からの誕生日プレゼント」のなかには、私が生まれた日の新聞と翌日の朝刊も納められていました。なぜ翌日の朝刊があるのか・・・。そこが両親のすばらしいところです。私が生まれた日に起こった出来事が報道されたのは翌日の朝刊だからです。おかげで、自分の生まれた日がどのような日だったかを知ることができました。

 私の誕生日は、今日、8月6日。広島慰霊の日です。毎年、誕生日の夕刊にはヒロシマの原爆死没者追悼式のもようが報じられます。46年前の夕刊のトップ記事も同様でした。浜井信三・広島市長の「平和宣言」には、「ベトナム、中近東その他世界各所において大いなる危険を冒しつつ」と、被爆から21年しか経っていないのに、再び人類が過ちを犯すことへの懸念も表明されています。

 この新聞の2面には、「アメリカ第4師団の一部 クイニョン上陸」「米軍機 ハイフォン付近を爆撃」などの見出しが躍ります。ときは米軍による北爆が本格化し韓国が派兵を決定した翌年。ベトナム戦争が泥沼化していく・・・そういう時代でした。

 
21回目の広島慰霊の日(1966年8月6日)の夕刊

 さて、7日の朝刊はというと、女子バレーチームの日紡貝塚(以下、ニチボー)の連勝が258でストップしたことが1面で大きく報じられています。こちらも歴史的な日ですね。

 ニチボーの敗戦を大きく報じる1966年8月7日付け朝日新聞1面

 記事によるとニチボーは、昭和34年11月16日の全日本選手権で明治生命に勝って以来、連勝を重ねてきたとのこと。7年近くも無敗だったのですね。大金星をあげたのはヤシカ、セットカウント3-2での勝利でした。スポーツ面をみると、第1セット2-15(ヤシカ-ニチボー、以下同)、第2セット15-12、第3セット15-10、第4セット6-15、第5セット15-10と、白熱した試合だったようです。

 同じくスポーツ面には「ニチボー258連勝のあゆみ」が掲載されています(以下、年度は昭和、数字は国内連勝・国外連勝の順)。34年3・9、35年8・9、36年11・22、37年16・4、38年19・31、39年14・38、40年36・21、41年26とあります。36年のヨーロッパ遠征で22連勝したニチボーは「東洋の魔女」とよばれました。当時、まだ(!)62連勝中ですから、名付け親の先見の明もすごいですが、そこから200ちかくも連勝を伸ばしたニチボーには驚くばかりです。もっとも女性に対して「魔女」の異名は失礼なのかもしれませんが・・・。

 さて、世界バレー代表選考会でニチボーを破ったヤシカの選手を中心としたチームは、翌年の世界バレーで金メダルをとることになります。

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