KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

2016年ハマスタ初観戦は「トラの餌食」に・・・

2016-04-12 01:10:30 | 日記・雑感

 二十数年ぶりの横浜スタジアム。「トラの餌食」となった試合でしたが、せっかくだから日記を書こうと思ったところ、デジカメで使用していたSDカードが開けない。PCからカメラに戻して有線で取り込もうとしても「カードが挿入されていません」のメッセージ・・・。1週間試行錯誤をして、ようやく「救出」完了。

 すでに一週間以上前の試合ですが、父が球場全体を見渡せるよいシートを買ってくれたので、写真だけでもアップしておこうかな。ゲームそのものだけでなく「野手がどのように動くか」なんていうテレビではなかなか見ることができない、コアな楽しみ方も堪能できました。

父が買ってくれたのはバックネット。最高のロケーションです。

 それにしても、「虎好き」さんはすごいですねぇ~。「甲子園球場にきたような」盛り上がり・・・。いや、甲子園だとこの数倍の盛り上がりになるんだろうなぁ~。何回「六甲おろし」の大合唱を聞かされたことか(笑)。

 

左のほうをみると・・・黄色一色www

ラッキーセブンでのタイガースファンのお決まりのイベント
見づらいですが、黄色い風船が舞っています

ベイも負けずにw

 ゲームのほうは初回にゴメスの3ランで先制されたものの、ベイ先発の石田も中盤まで要所をしめるナイス・ピッチング。一方、打線のほうは、立ち上がりに苦しんでいる藤川をなかなか攻略できないまま終盤へ。まぁ、こんな日もあるさ。というか、こういう日ばっかりだな(泣)

 しかし若い選手が多いのがベイスターズ。毎年、選手を覚えるのが大変なくらい(大袈裟かw)新しい選手がどんどん出てきます。こういう選手たちが活躍できるのもベイスターズの魅力の一つです。

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横浜スタジアムへの「出陣」準備完了

2016-03-23 21:40:06 | 日記・雑感

 これまで野球観戦をしたいとずっと思っていたのですが、なかなかその目的を果たせずにいました。もちろん、プロ野球でなくてもよいのですが、高校野球でも広い長野県ではなかなか長野市で開催されるゲームがなくて・・・。

 高校野球で言うと、母校をのぞけば、一番の贔屓チームは横浜商業高校。横浜市民には「Y高」の愛称で親しまれている学校です。最近は甲子園にもご無沙汰なのですが、中学校時代の友人が甲子園でプレイしていたので、いまでも好きなチームです

 さて、日本の「プロ野球」は、毎年のように長野市でも開催されています。ご贔屓の横浜ベイスターズもなんども来てくれたのですが、一人で行くのは結構勇気がいる。そこで、今年は父にお願いして横浜スタジアムのチケットをとってもらいました。

 横浜スタジアムに足を運ぶのは何年ぶりになるのだろう?? 当時の横浜大洋の試合の記憶よりも、高校3年の夏に優勝候補の一角だった藤嶺藤沢に勝った母校の勝利が鮮明に残っています。次の試合は東京六大学でも活躍した志村投手を擁する桐蔭学園。こちらも応援にいきましたが、志村投手の出番を待つこともなく完敗してしまいました。もしかすると、この試合以後、横浜スタジアムに足を運んだことはないのかもしれない。

 おそらく30年ぶりくらいの横浜スタジアム行きのために、少し奮発して「グラウンドコート」を購入。いちおう「L」サイズを注文しましたが・・・。実際に着てみると「ピチピチ」(泣)。痩せ型の私ですが、ダイエットが必要なのかもしれません。

 

 


ハングル語? それとも朝鮮語?

2016-03-21 19:48:14 | 日記・雑感

 4月からの「受講」のためにテキストを購入しました。いちおう週5回のラジオ放送と、週1回のテレビ放送分をそろえましたが、どちらも「ハングル講座」。でも、「ハングル」って「한글」のような文字をあらわすのであって言語そのものをあらわしたものではありません」。それなのに、どうして「朝鮮語」と言わないのだろうか??。

 さて、ここから回想シーンw

 一般に大学へ通うと英語のほかに、外国語を学ばなければいけません。私はドイツ語を学びました。これがいわゆる「第二外国語」ですね。

 ここから、ちょっと自慢ですがw ベートーヴェンの「第九」はドイツ語で歌えますよ^^ 

 さて、私が学んだ信州大学は、私の入学時の「第二外国語」はドイツ語のほか、フランス語、ロシア語、中国語のいずれかを選択することになっていました。

 偶然なのかどうかはわかりませんが、信州大学って面白い(そうなのかなぁ^^;)ところで、私が入学して以後、「第二外国語」が2つ増えました。韓国語とスペイン語です。

 ソウル五輪(1998年)の前年に履修できるようになったのが韓国語。バルセロナ五輪(1992年)の前に履修可能になったのがスペイン語。当時、学生の間では「もっとマイナーな地域でオリンピックが開ければ面白いよね」などと冗談交じりで話していたことを思い出します(個人的には「朝鮮語」と言うべきだと思うのですが、信州大学の科目が「韓国語」だったので、それにならって表記しています)。

 そこで、一つの疑問が。たとえば、ドイツで話されている言語なら「ドイツ語」、フランスなら「フランス語」・・・これは当たり前ですよね。現在の独立国でも、一つの国で異なる言語を使用している国も少なくありません。たとえばカナダ。カナダでは英語とフランス語の両方が公用語となっています。 

 ところが、朝鮮半島の言語をみてみると、「朝鮮語」よりも「ハングル語」というほうが日本では一般的なような気がします。私が購入したテキストも「ハングル講座」ですから・・・。この講座(とくにテレビ版)では文字の読み書きよりも会話ができることを目的にしているようですから、「朝鮮語講座」とよぶべきなんだろうなぁ~と思ってしまいます。

 これは言語学と同時に歴史学にも関わってきそうな分野なので、今後の宿題ですね。そうは言っても、宿題の期限は、多く見てもあと30年くらいしかないのか(;;)

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中途半端な長野駅の道案内

2016-03-18 01:21:27 | 日記・雑感

 今日では当たり前のように歩道や駅のホームにに設置されている「点字ブロック」。この点字ブロックを世界で初めて施設したのは日本です。岡山県内の国道250号に設置されたのが「点字ブロック第1号」。設置された日(1967年3月18日)にちなんで、この日が「点字ブロックの日」とされたそうです。

 さて、外国人も含め毎年、多くの観光客が訪れる観光地・長野。その玄関口のひとつであるJR長野駅にも、当然のように点字ブロックが施設されています。これは、どこの駅でも目にする光景ですが、長野駅には音声で道案内をしてくれる案内板が設置されています。

 観光地の玄関口の駅などでは、行きたい場所のボタンを押すと目的地が点灯するというような案内板がありますが、長野駅に設置されているのは、行きたい場所のボタンを押すと音声で道案内をしてくれるという優れもの。しかも点字ブロックで何個目の交差点を左に曲がる・・・などと、事細かに案内をしてくれます。

 ミーハーな私は、まわりに人がいないことをいいことに、ボタンを押しまくってみました。「うーん、これは分かりやすいよね!!」と思ったのもつかの間、この案内板の致命的欠陥を見つけてしまいました。

 たとえば案内板の一番左上のボタンを押すと交番までの道順を案内してくれます。「後ろに下がって、最初の交差を右に行って・・・」と音声にしたがって周りをみまわすと、たしかに交番があります。ところが、実際に「交番に行きたい」と思っても、この案内板は使えないのです。なぜなら、案内板に点字がついていないから・・・。

 周りの人にボタンを押してもらうシステムなのかなぁとも思いましたが、それならこんな案内板つくる意味もないし・・・。

 ちなみに、この写真を撮影したのは今年の1月30日ですが、いまは変わっているのでしょうかね?

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一九二八年三月十五日

2016-03-13 11:44:04 | 日記・雑感

 「この日」が近づくと読みたくなる小説があります。小林多喜二の「一九二八年三月十五日」です。「この日」に何があったのかということを、あらためて思い返すと同時に、読んでいるときの気分や自分が置かれている環境によって受け取り方が異なるので、お気に入りの一冊です。

 多喜二がこの作品で描いた1928年3月15日は「共産主義者への大日本帝国政府による弾圧事件」が起こった日」(Wikipedia)です。いわゆる「三・一五事件」ですね。罪状は治安維持法違反ですから、弾圧の対象は「共産主義者」にとどまりません。「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」が弾圧の対象となりました。簡単に言ってしまうと、「主権在民」を主張しただけでも弾圧の対象になった・・・そういう時代だったのです。

 この小説を最初に読んだときには、天皇制「権力」が、いかに野蛮な暴力を行っていたかというところにしか目がいかなかったのですが、それにとどまらない多喜二のメッセージがこめられていると感じます。

 そのなかでも私が一番好きなのは、ほんの数行しか描かれていない場面です。検挙された活動家の龍吉と巡査の水戸部が会話をするというところなのですが、このシーンが何度読んでも「グっ」ときてしまいます。龍吉たちにとって巡査は、言ってみれば「敵」です。ところが多喜二はこの場面で、水戸部に語らせるという形で「官憲」が置かれている状態を告発します。「敵」どころか、ともにたたかうことができる「仲間」だという目線なのです。

 もちろん、多喜二が生きた時代と今日では社会の様相がまったく違っていますから、多喜二の目線を「物差し」にするのことはできませんが、いま生きている社会をどのように見るのかという洞察力と社会観には学ぶところが大きいと感じる作品です。

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木曽義仲が征夷大将軍となった日

2016-02-24 19:06:24 | 日記・雑感

 源氏で征夷大将軍といえば、鎌倉幕府を開いた源頼朝が有名ですが、その頼朝が征夷大将軍に任ぜられる8年前に源氏の武将(?)が征夷大将軍に任ぜられていたことを初めて知りました。木曽義仲です。頼朝が征夷大将軍に任ぜられたのは「1192(イイクニ)つくろう鎌倉幕府」の語呂合わせでも有名な1192年、一方の義仲は1184年です。頼朝より先に入京した義仲でしたが、最後は頼朝軍に討たれてしまいます。今日は、その木曽義仲が「征夷大将軍」に任ぜられた日とされています。

長野県上田市にある「木曽義仲挙兵の地」の碑
今日は風が冷たかった・・・

 「鎮東将軍」「征夷将軍」「征東大使」「征東将軍」・・・など呼称はさまざまなのですが、時の朝廷が「東国」を支配するために、あるいは「東国」の脅威を抑えるために組織した軍隊のトップが「征夷大将軍」です。極端な話ですが「○○師団長」「○○方面軍司令官」・・・といったところでしょうか。

 中国では南の異民族を「南蛮(なんばん)」、北の異民族を「北狄(ほくてき)」とよんでいました。これは中学校の歴史でも習いますね。さらに西の異民族は「西戎(せいじゅう)、東の異民族は「東夷(とうい)」とよびました。こちらの2つは学校で習った記憶がないのですが、邪馬台国についての記述があるのが「魏志倭人伝」のなかの「東夷伝」ですから、「東夷」という言葉は比較的馴染みがあるかもしれません。この東の異民族「東夷」に抗する部隊が「征夷軍」、その大将が「征夷大将軍」です。

 さて、中学校の歴史だと、征夷大将軍として最初に名前が出てくるのが坂上田村麻呂です。教科書では「蝦夷(えみし)」を討伐する」軍隊の総大将ということなのですが、「東夷」に抗するという点では、彼が征夷大将軍になるおよそ100年前から征夷大将軍に位置づけられる官職は存在していたようです。「万葉集」を編纂したとされる大伴家持も「征夷大将軍」(正確には征東将軍)だったのですね。「歌人というよりも武人であった」という説もあるとのこと。これにもびっくりです。

 このような「限定的」な役職だった「征夷大将軍」が「武家の棟梁」になっていくあたりの歴史は、これからの宿題です^^

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松本に特攻隊がやってきた日

2016-02-20 16:33:40 | 日記・雑感

 今から71年前の今日、2月20日。15機の航空機が長野県の松本市に降り立ちました。陸軍「誠第32飛行隊」です。松本飛行場で特攻のための改装を行い、沖縄沖で「航空特攻」をすることになります。

 以前は、「航空特攻」といえば、鹿児島県の知覧や鹿屋に行けば何でも分かると思っていました。しかし、こんなに身近なところで特攻隊員の足跡をたどることがきでるということを知ったのは3年前のことでした。しかも、知覧や鹿屋では知ることができない特攻隊員の姿や当時の国民との触れ合いがあったこともも知りました。

 この部隊が知覧から出撃したのが3月27日とされています。とある記録によると松本を発ったのが3月20日。満州から到着して沖縄に発つまでの1ヶ月、「極秘」であった特攻隊と地元・松本のみなさんとの心の交流があったそうです。

 「松本に特攻隊がやってきた日」を期して、松本から「出撃」した特攻隊を追ってみたいと思います(写真は、大戦中に陸軍松本飛行場のあった場所 2012.8撮影)。

 

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探しものはなんですか?

2016-01-29 19:30:30 | 日記・雑感

 探し物をしていたら、ダンボールの中から1本のカセットテープがでてきました。

 もはや日常生活で見かけることも少なくなってきたカセットテープですが、押入れ遺跡から発掘された「遺物」の外見は、まさに「昭和」!!。 かすれてしまった文字を判読する必要もなく、これが中学校卒業のときに吹奏楽部の顧問の先生からの贈り物であることが分かりました。数年前に探しまわったのに、まったく関係ないときに出てくるとは・・・。なんか井上陽水の歌のようだ(って、これも古いw)。

 さっそく30年以上前の演奏を聴きたいと思ったのですが、我が家にはカセットテープを聴くための機器がない(泣)。「いまや携帯型のカセットプレイヤーなんて2~3千円くらい??」なんて考えながらも、いかんせん保存状態はめちゃくちゃ悪かったので、「そもそも音楽が聴けるのか?」という不安材料も。もし聴けなかったらお金をドブに捨てるようなもんだし(他に使う用途がないからね)。とりあえず、明日、カセットテープを聴くことができる知人を当たってみてデジタル化してみよう~♪

 おっと、本当の探しものを見つけなければ!!

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遅ればせながら・・・

2014-04-07 22:54:38 | 日記・雑感

 自宅PCのOSが、ようやくWindows7になりました。もともとVistaが載っていたPCをXPにダウングレードして使用していたので、手元にはVistaのリカバリーディスクもあるしライセンスも持っているので「Vistaでがまんするかなぁ~」と逡巡していたのです。

 そこで、松本の知人に相談。案の定、「Vistaはやめたほうがいいよ」とのこと。そもそも、XPにダウングレードしたのだって、Vistaが信頼性にかけると判断したからだもんなぁと思い出し、7を導入することに決定。いやぁ~軽いなぁ~というのが第一印象。クリーンインストールしているのだから、当然といえば当然なのですが。

 OSを載せかえるだけでなくHDDも新品に交換しました。というのは、クリーンインストールをしたかったのもありますが、これまで録りためた映画やドラマが見られなくなってしまう可能性があるからです。地デジになってからファイルの容量が大きくなり、DVDには焼けないしブルーレイも持っていない。ブルーレイドライブを買うならHDDのほうが安い!!というわけです。もっとも、それらを見るためにには筺体をあけてHDDをつなぎなおす必要があるのですが・・・。

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