KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

「おひさま」が帰ってくる

2012-09-26 23:45:55 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 「おひさま」は、昨年4月から半年にわたって放送されたNHK連続テレビ小説。現在放送中の「梅ちゃん先生」の2つ前の作品ですね。連続テレビ小説としては84作目、第1作目の「娘と私」の放送開始から数えて50周年という記念すべき作品です。

 「連続テレビ小説50年」ということでしょうか、ヒロイン・陽子を演じる井上真央は朝ドラ初出演でしたが、いわばドラマの語り部となる若尾文子から話を聞きだす房子役には「はね駒」(昭和61年放送)のヒロイン・斉藤由貴、陽子の嫁ぎ先の姑・徳子は「ロマンス」(昭和59年放送)のヒロイン・樋口可南子、さらにゲスト出演ですが陽子の子どもを取り上げた産婆・サキは「雲のじゅうたん」(昭和51年放送)のヒロイン・浅茅陽子と、かつてのヒロインたちが花を添えていました。

 この「おひさま」が、10月1日から、NHK-BSプレミアムに帰ってきます(午前7時15分~30分、午後7時~7時15分→こちら)。残念ながら、我が家ではBSを受信できないので見られないのですが・・・。安曇野の風景や、旧制松本高校の校舎・・・もう一度見てみたい気もします。

 実は、この「おひさま」。連続テレビ50周年というだけでなく、大きな歴史の節目に放送された作品でもありました。「おひさま」放送中の7月24日、アナログ波は停波(東北三県をのぞく)。完全デジタル化となりました。「地デジ化」とはもはや死語ですが、地デジ化しなければ見られなくなってしまったのです。

 さて、「おひさま」は、個人的には、ドラマを楽しんだのはもちろん、陽子の嫁ぎ先の「丸庵」が松本のどこにあったのかの推理をはじめ、時代考証や設定の不自然さの「あら捜し」など、ドラマ本編とは関係ないところでも楽しませてくれた作品でもありました。(詳細は左カラムの「カテゴリー」「NHK連続テレビ小説おひさま」参照)。

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おひさま 《最終週~すべての母より 最終回》

2011-10-01 22:36:51 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 NHK連続テレビ小説「おひさま」も、いよいよ最終回。いろんな意味で楽しませてくれた作品でした。個人的には現代の真知子と育子には登場して欲しくなかったですが・・・。

 最終回だけあって、これまでのシーンが伏線になっていた(?)場面も。

 日向子に入学祝を届けた富士子が帰ろうとするときに陽子や和成、徳子が咳払い。それを見た運転手の神倉さんが仮病の演技・・・およそ7年ぶりの「大芝居」でしたね。相変わらず大根役者でしたが^^;

 茂樹兄さんは無事、医大へ合格。しかも日向子と同じ年に大学生になるなんて・・・。「日向子と同級生になったりしてね」という陽子の予言が的中しました(笑)。ところで「私が生きている間には合格できるんだろうな」と言っていた良一は、茂樹の合格をみることができたのでしょうか。

 さて、岡田惠和さんが脚本を書いた「ちゅらさん」の最終回はオール・キャスト勢ぞろいでしたが、「おひさま」も主要な登場人物は、しっかり最終回に登場していましたね。「帝王」と村上堂のご夫婦が出ていなかったのが残念でしたが、このほうが自然でしょうね。

 そして・・・入学式に向かう陽子、和成、日向子が振り返り手を振るシーン。それに手を振り返す真知子や育子たち・・・。テレビの前の私たちに手を振っていたと感じたのは私だけでしょうか。

 さて、最後の「あら捜し」を。「百白花」の開店はおそらく昭和25年、最終回は昭和28年。そしてラスト・シーンで陽子が太陽に向かって「おはよう、お母さん」と言うシーンは、昭和30年代はじめだと思うのですが、壁に貼ってある「お品書き」の値段は、ず~っと同じでした。

 とあるサイトによると、昭和24年当時のそばの値段は15円、昭和28年には20円です。昭和34年には35円とあります。

http://chigasakioows.cool.ne.jp/ima-ikura.shtml

 そして「おまけ」。「白紙同盟」の三人の会話。これまでずっと「育子」と呼んでいた陽子が「育子さん」と呼んでいました。たしか携帯に電話がかかってきたときは「育子からよ」と言っていたと思うのですが・・・

 ところで、陽子が房子に「『続く』よね」と言っていましたが、「おひさま2」は特番で放送されるんでしょうか。札幌へ行った房子のもとを育子が訪れ、後日談を語るというのはどうでしょうか・・・。

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おひさま 《第22週~ふたたびの場所》

2011-09-06 23:46:51 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 NHKおひさま第22週。「丸庵」が火災により消失してしまいました。その直前の放送で、陽子が茂樹に「医大の受験はどうなの?」と聞いていたので、昭和25年3月までの記録を長野県立図書館で調べてみました。

 図書館で閲覧した「信濃毎日新聞」は昭和25年1月~3月まで。時節柄、対米講和と水爆実験の記事が一面を埋めていました。地方面はというと、冬という季節のためでしょうか、長野県各地で火災があったことが報じられていました。そのなかで2月27日付に「午前2時(松本市)女鳥羽町から出火」し「塗装工場など7棟全焼」という記事をみつけました。

 しかし「おひさま」で陽子が丸庵2階から見ている火災現場は、南の方角ですから(私のブログ「丸庵はどこにあったか」、NHK「おひさま」公式サイト「丸庵を歩く」参照)、この火災はまったく別の火災です(女鳥羽町は丸庵より北にあります)。丸庵だけでなく周囲の人々も焼け出されたことを考えると、松本駅周辺で大規模火災があったはずなのですが、記録には残っていませんでした。以前、「おひさま」でも取り上げられた昭和22年の松本駅火災は史実ですが、今回の火災は、どうやらフィクションのようです。

 さて、ここで疑問がひとつ。この丸庵の火災の直前の放送で、陽子と和成が安曇野に行くというシーンがありました。陽子と茂樹の会話では医大の入試直前のようでした(ですから私も3月までの記録しか調べなかったのです)。ところが、丸庵を焼け出された陽子たちが安曇野に身を寄せるというシーンでは、「トッキョキョカキョク」の泣き声が・・・。ホトトギスの鳴き声です。渡り鳥のホトトギスが日本にやってくるのは5月ごろです。たしかに出演者の服装も冬の服装ではありません(あ、それを考えると3月以後の記事も調べる必要がありそうですね^^;)

 さて、話をもどして。ドラマの中では茂樹の医大合格の話はありませんでしたから、今年も・・・ということでしょうか。この年に合格していれば、信州大医学部第一期生だったのですが・・・。

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おひさま 《第21週~ひなたの夢 第121回》

2011-08-22 23:06:31 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 NHK連続テレビ小説「おひさま」。丸庵も一家四人(五人?)で商売を営むことになりました。陽子は職場を退職、代わりに「経理の仕事がしたい」と言っていた教え子のケイコを紹介します。ところが同僚の竹内さん(野間口徹)は「いくら代わりの人って言ってもさぁ、まだ16歳じゃねぇ」と不満な様子。

 土曜日の放送で「おひさま」は一気に1950年まで年がとびました。今日の放送はその一年前、丸庵が再出発する経過が描かれていました。ということは1949年です。1949年に16歳ならケイコは1933年生まれということになります。しかしケイコは陽子の最初の教え子なので、陽子が教壇に立った当時(1941年)は4年生。尋常小学校の4年生は10歳ですから、生まれた年は1931年。1949年には18歳のはずですが・・・。

 そして、さらに大きなミスが。

 ケイコの「入社試験」(?)で田所さん(紺野まひる)が計算をやらせます。ケイコの書いた答えは1746円80銭。田所さんの計算でも答えは1746円80銭。見事、就職が決まったケイコです。検算をした田所さんの手元がアップになります。田所さんの算盤も1746円80銭をしめしていますが・・・。

 さすがNHK。細かいところまで演出していると思ったのですが、これが大間違い。実際に田所さんが「計算して」といった帳簿を計算して見ると、2695円40銭になります。算盤の演出が細かかっただけに痛恨のミス。

 それとも、ケイコを就職させるために、田所さんがわざと1746円80銭にあわせたのでしょうか。そうだとすれば、かなり深い演出ですね。これだから「おひさマニア」はやめられません。

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おひさま 《第20週~女たちに乾杯 その2》

2011-08-20 17:35:08 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 今週2度目のレビューです。

 年が明けて昭和23年、東京の育子から「元気で頑張っている」との便りが届きます。一方、茂樹「君」は、医学専門学校を受験。長兄・春樹が進学した旧制松本高校、名古屋大学が実在するので、松本医学専門学校も実在するものだと思ってみていました(ちなみに陽子の進学した安曇野女学校は架空、松本女子師範学校は実在)。

 調べてみると、たしかに実在していました。信州大学医学部の沿革をみてみると、大戦末期の1944年、官立の松本医学専門学校が設置されています。当初は校舎がなく、旧制松本高校や旧制松本中学(現・松本深志高校)に間借りをしていたそうです。現在の旭町(旧陸軍歩兵第50連隊跡地)へ移転したのは昭和21年4月のことです。

 この松本医学専門学校、昭和23年には松本医科大学に昇格、さらに昭和26年に信州大学医学部になりますから、ドラマの舞台はちょうど医専から医大へ移る頃ですね。仮に一発合格なら茂樹は松本医大1期生ということになります。

 さて、物語は昭和25年まで一気に飛びます。果たして茂樹は医学生になっているのでしょうか? そして、もうひとつ気になるのが陽子の女学校時代の恩師、飯田先生です。今日の放送でも「飯田小太郎とオクトパス」の曲がラジオから流れていました。

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おひさま 《第20週~女たちに乾杯》

2011-08-19 23:09:54 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 第20週は明日、土曜日の放送を残してのレビューです。どうしても書きたいことが、今日(19日)の放送に登場したからです。

 「丸庵」の厨房のラジオから流れてきたのはジャズ。これまでにない、ちょっと違和感のあるシーンです。それにしても玉音放送以来一度も音を出さなかったラジオが、なんで突然?(もっとも玉音放送のときは座敷に置かれていましたが)。

 その理由はすぐに明らかになりました。演奏が終わってアナウンサーが一言。「演奏は“飯田小太郎とオクトパス”で、『よき人生を』でした」と・・・。

 飯田小太郎といえば、陽子の女学校時代の英語教師「オクトパス」です。曲名の「よき人生を」は陽子たちが卒業するときに贈った言葉、「女性たちよ、よき人生を」から来ているのでしょうか? それにしても、ラジオのアップが映し出されたにも関わらず、登場人物はみんなスルー。後々、生きてくるシーン?それとも単なる「お遊び」??

 さて、いつものようにあら探し。

 丸庵で元の教え子に地理を教えているシーンです。陽子が手にする地図帳は左から右へ文字が書いてあるので戦後発行されたものでしょう。地図上の文字は判別できなかったのですが中華民国の国旗も描かれているので、中華人民共和国成立(昭和24年)以前の地図だと思われます。この点では、昭和22年というドラマの時間と符合します。

 しかし疑問がひとつ。この地図帳、色が薄いので何ともいえないのですが、インドとパキスタンの国旗らしい図柄が見えるのです。インドとパキスタンがイギリスから独立したのは1947年(昭和22年)8月15日。この日(8月15日放送)の別のシーンで、陽子がケイコとハナに本を貸すシーンがあります。そこに書かれた日付は「5月10日」・・・。矛盾していますね。

 

 さらに、17日の放送(先のシーンの2日後の放送)。真知子の父親が町長に当選したという新聞記事が登場します。良一が読んでいる紙面の裏には、「初代公選知事・・・」の文字が読めるので、第一回統一地方選挙です。この県知事選で長野県知事となった林虎雄の任期は昭和22年4月12日からですから選挙が行われたのは5月10日より1ヶ月以上前のことです。

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おひさま 《第19週~再出発と嫁姑》

2011-08-19 19:23:06 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 昭和22年春、子どもたちを送り出すと同時に陽子も学校を去ります。恩師でもあり同僚でもある夏子先生は「日本一の女性教師になる」と宣言。陽子だけでなく、陽子の周りの人々にも、新しい出発が待っていました。親友の真知子は職場の同僚とつきあっていることを告白、育子は東京の出版社に就職が決まりました。

 そして次兄・茂樹は「医者になる」と宣言しようとするも、父・良一が「医者になるんだろ」と一言。思えば予科練に志願するときは陽子が「そんなんじゃ海軍なんて無理」と口を滑らしましたね。「なんで、いっつもこうなんだ」と茂樹が嘆く気持ちもわかります。

 学校を辞めた陽子は松本の食品会社に勤めることになります。仕事から帰ると「丸庵」の手伝い。身心ともに疲れているであろう陽子を心配する徳子の一言が思わぬ騒動に発展。

 「陽子はいっつも他人行儀なんだよねぇ」と言う徳子。陽子も言い返します。

 「お母さんだって大好きな家族の前で疲れた顔みせたくないって思うでしょ」
 「本当に辛かったら家族に甘えるに決まっているじゃないですか」

 和成との結婚前から仲の良かった陽子と徳子ですが、これで本当の親子になれたのかもしれませんね。それにしても、二人のケンカを見守る(?)串田さん。台詞はなくても、すばらしい存在感でした。

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おひさま 《第17週~夫婦になる・第18週~太陽の決心》

2011-08-10 23:07:08 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

NHK連続テレビ小説「おひさま」。第17週では、ついに陽子が母親になります。娘・日向子が生まれたのが昭和21年11月2日(父・良一への電報の日付より)、陽子が仕事に復帰したのは冬休みが終わってということなので、産後2ヶ月です。当時は育休というものがなかったのでしょうか。女性の地位や権利は現在に比べればまだまだ低かった時代ですから、陽子のような女性がかなりいたのでしょうか。

 そして第18週。陽子は教職を離れる決意をします。残り2ヶ月弱、ドラマはこれからどのように展開していくのでしょうか。陽子が女学生のときに、おばぁさまから「一度だけ助けてもらう」という約束をしますが、その約束もまだ果たされていませんよね? まだ一波乱あるのでしょうか。

 さて、今年は連続テレビ小説が始まって50年だそうです。これまで全体を通して観ていたドラマが少なすぎるので何とも言えないのですが、「おひさま」にはかつての連ドラのヒロインが相次いで登場しています。これも50周年だからなのでしょうか。

 現代の陽子(若尾文子)の話を聞きに安曇野にやってくる房子(斉藤由貴)は、「はね駒」(昭和61年)のヒロインでした。陽子の嫁ぎ先の姑・徳子(樋口可南子)は「ロマンス」(昭和59年)のヒロイン、さらに「甘辛しゃん」(平成9年)ではヒロインの母親を演じています。そして陽子の子どもを取り上げた産婆・サキ(浅茅陽子)は「雲のじゅうたん」(昭和51年)のヒロイン・・・。それからヒロインではありませんが、陽子が再就職した食品会社の女性社員(紺野まひる)は、「てるてる家族」(平成15年)でヒロイン(石原さとみ)の姉を演じていました。これって、あえてそういうキャスティングをしたのでしょうか・・・。

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おひさま 《番外編~丸庵はどこにあったのか-その3》

2011-08-02 23:59:24 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 NHK連続テレビ小説「おひさま」。7月21日の日記で「丸庵」の場所を県1丁目1番地付近であろうと、ほぼ特定しましたが、8月1日の放送(第103回)で撤回をせざるをえなくなってしまいました。

 その理由は松本駅の火災です(実際に昭和22年2月に松本駅は火災に遭ったそうです)。火が見える方向は丸庵から電車通りに出て左手。ドラマの映像と避難してくる方々の様子をみれば、とても県にあったとは考えられません。炊き出しをしたということですから、松本駅の直近にあったと考えるのが自然です。

 過去2回で場所を特定したのは、6月29日の北アルプスの位置と路面電車の走る方向、7月21日の路面電車の消える方向でした。それで、過去2回の推測もふくめて、あらためて「丸庵」の場所を検証する必要がありそうです。

 まず6月29日の日記。路面電車の走る方向を北から南と推測しました。これは北アルプスの見える角度が松本城の背景のシルエットに似ていたからです。

 次に7月21日の日記。「おひさま」公式サイト上にある動画をみると、路面電車がほぼ直角に右折しているようにみえたからです。これも6月29日の日記の「路面電車は北から南に走っている」が前提になっています。

 では、路面電車が東から西に走っていたらどうか? 果たして、その位置から北アルプスがそのようにみえるのか?(路面電車が西から東、あるいは南から北に走っている場合は、背後に北アルプスが見えないので除外できます)。

 さて、路面電車が東から西に走り、かつ90度右折するような場所があるのか・・・

 見つけました。

 今の駅前大通りをあがたの森方面から走ってきた(東から西へ)松本電鉄が、国鉄・松本駅のどこに接続していたのか・・・当時の地図を見れば明らです。あがたの森方面から来た路面電車は、いまの松本駅前交差点を右折し、さらに国鉄・松本駅に直角にぶつかるように左折します。路面電車の松本駅は、いまのホテル飯田屋の向かいあたりでしょうか。

当時の松本電鉄浅間線の路線図と、懐かしい写真は↓のサイトで
http://homepage1.nifty.com/pyoco3/local/hokuriku/hokuriku.htm
http://omotetsu.art.coocan.jp/matuden.htm

 このサイトの路線図はもちろん、松本駅前付近を走る路面電車の写真をよくみると、松本駅前で路面電車がどのような軌道を描いていたのかがよく分かります。

 そこで、上記の証拠を検討した結果、深志1丁目に「丸庵」があったというのが、現在の結論です。これなら「丸庵」の住所(南深志1-92)とも符合します。ちなみに春樹が「丸庵」背後からきたことにも矛盾しません。問題は、この地点から北アルプスがどのようにみえるのかですが・・・。それは松本市在住の先輩に確かめてもらいましょう。

新たな証拠をもとに「丸庵」の位置を推測してみました。

 それにしても、ドラマの大筋とはほとんど関係ないことまで知りたくなるとは・・・「おひさま」は久々の傑作かもしれません。

「丸庵はどこにあったのか」~その1  「丸庵はどこにあったのか」~その2

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おひさま 《番外編~現代の陽子は何歳?》

2011-07-25 00:12:29 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 NHK連続テレビ小説「おひさま」。主人公の陽子は大正11年生まれですから、今年で89歳になります。でも、現代の陽子は89歳には見えませんよね。現代の陽子を演じていらっしゃる若尾文子さんは1933年生まれですから、今年で78歳です。

 そこで、いままでの放送から、「現代」のシーンが平成何年かを推理してみましょう。

 第一回目の放送で、房子(斉藤由貴)が、「失礼ですが、おいくつでいらっしゃるんですか?」と尋ねるシーンがあります。陽子(若尾文子)は、「え?歳?忘れちゃったわねぇ」と、年齢を明かさないので、これでは平成何年なのかは分かりません。

 「現代」の年代を推測できるシーンは、携帯電話。陽子も房子の娘も折りたたみ式の携帯電話を使用しています。折りたたみの携帯電話が何年に発売されたかは不明ですが、私が始めて折りたたみ式の携帯電話を購入したのは2003年、今から8年前です。しかし、陽子が使っているような薄型の携帯電話が世に出るのはもっと後のことでしょう。でも、これだけでは年代を特定できません。

 で、決定的な瞬間を見つけました。

 第一回で房子が安曇野に訪れるシーンです。車のフロントガラスには、次の車検時期を示すシールが・・・。「22年7月」と書いてあります。車の車検は2年ごと、新車なら3年です。ラジオから流れている「安曇野情報」では、「そばの花が一面に咲いている」ということなので季節は秋。

 よって平成19年秋~平成21年の秋が「おひさま」の「現代」です。平成19年だとすれば、陽子は85歳ということになります。もちろん脚本家の岡田惠和さんが平成何年頃を想定して脚本を書かれていたのかは分かりませんが・・・。

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