KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

信州大学に残る石碑

2016-03-06 19:19:25 | 「信濃の国」を歩く

 「信濃の国を歩く」の番外編です。

 信州大学教育学部の正門脇に浅井冽の碑が立っています。浅井先生は明治19年から大正15年までの41年間、長野尋常師範学校の教諭として教鞭をとりました。長野尋常師範学校は、現在の信州大学教育学部の前身です。恥ずかしい話ですが、この碑が建っているのを知ったのは今日のことです。在学中は、このような石碑があることすら知りませんでした。

  

【左】信州大学教育学部の正門  【右】正門脇に立つ 浅井冽の碑

 この浅井先生が作詞したのが長野県歌「信濃の国」です。現在、キャンパス脇に残る石碑は風雪のせいでしょうか何がかかれているのか分かりませんでした。帰宅して調べてみると「「先生の状懇、温潤玉の如し」「其人となりや快淡無欲」と書かれているそうです(NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ)。この意味さえ分からない(;;)

 難しい話は横に置いて(それでよいのかなぁ^^;)、久しぶりにキャンパスの中を歩いてみました。南校舎は1998年の冬季オリンピックの際に国道を拡幅するために取り壊されてしまいましたが、それ以外はおおむね私が通っていた頃の外観をとどめています。もっとも北側の講義棟は、だいぶ「お色直し」をしたようです。以前は、野暮ったかった女の子が、華麗に羽ばたいている蝶のようになっている(言い過ぎかw)。ここまで「大変身」を遂げているので、通学しているときの様子を思い出すのに苦労しました。それでも信州大学l教育学部のHPは、私が学んでいた頃の校舎の姿を紹介してくれているので、それを見るといろんな思い出が交錯します。もちろん「甘い思い出」も・・・。

  

【左】すっかりお化粧直しをしてしまった講義棟  【右】学生時代の面影を残す東門のプレート

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「信濃の国」を歩く【その7】 信越国境

2016-02-27 16:24:27 | 「信濃の国」を歩く

 長野県歌「信濃の国」に歌われている場所を旅してみようと思ったのは、もう4年も前のこと。当初は割りと意識的に立ち寄っていたのですが、ここ3年ばかりはご無沙汰でした。そこで、思い立って新潟県との県境へドライブ。なぜ新潟県なのか・・・。

 ♪ 信濃の国は 十州に 境連なる 国にして ・・・

 長野県民ならおなじみの「信濃の国」の冒頭部分です。信濃の国は十ヶ国と境を接している・・・という意味ですね。武蔵、上野、甲斐、駿河、遠江、三河、美濃、飛騨、越中、そして越後、つまり現在の新潟県です。以前、甲斐の国との境は訪れたことがあるので、この「企画」では2度目の国境探訪となります。もっとも現在では、旧国境を探すのも行くのも大変なので、県境探訪なのですが・・・。

(「信濃の国」を歩く 以前の記事は→こちら

 今日訪れたのは国道18号線の「信越国境」です。長野県と新潟県の県境を自動車で越えようと思えばいろいろなルートがありますが、今日は「海がみたい」という気持ちもあったので、一番手軽なルートを選択しました。いつもなら「同じルートで帰らない」がモットーなのですが、積雪と路面凍結が心配だったので、同じルートを戻ってきました。

 それにしても今年は本当に雪が少ないです。新潟県との境にある信濃町は何度も訪れたことがあるのですが、「信濃町=雪」というイメージが強いところでした。ところが、雪がない・・・。途中、野尻湖までは路面が濡れてさえいない。もちろん「雪国」なので除雪体制はしっかりとしているので、リアルタイムで大雪が降っていなければ国道には雪がないのは当たり前という土地柄なのですが、道端の雪の高さを見ると降雪がいかに少なかったのかが推測できます。

 

【左】朝日を浴びる野尻湖(修正あり)  【右】野尻湖からのぞむ黒姫山(左)と妙高山(右)

 野尻湖で朝食と軽い運動をして、いざ県境へ!! 実は、運転免許を取り立てのころに初の遠出をしたのがこの道。当時は、バイパスが通っていなかったので、初心者にはハラハラ・ドキドキの道中だったのですが、いまは立派なバイパスができているので快適なドライブです。

 学生時代に友人たちと、「道路を見れば県境を越えたかどうかがすぐに分かる」と冗談交じりで話していたことがあるのですが、新潟県に入ると突然、道路がきれいになります。上越ICまで、「高速道路?」と見まがうようなバイパスが通っているのですが、上越に向かえば下るだけ(長野に向かえば上るだけ)で、ほぼ直線の道が続くので、長野と松本を結ぶ長野道よりストレスなく走行できます(長野道は高速道路なんですがね^^;)。

 さらに、「運がよければ、信号にひっかからずに日本海までいける!!」。信濃町-上越間は高速道路を使うのがもったいないくらいです。

 

【左】上越市街地と旧新井市(現妙高市)を結ぶ上新バイパス  【右】県境がある「信越大橋」(後ろは妙高山)

 

信越大橋のほぼ中間にある県境をしめす標識。北向きの「長野県」の標識には残雪が。

 「平成の大合併」で、信濃町のお隣にあった妙高高原町は妙高村とともに新井市に編入され妙高市となりました。それでも「妙高高原」という名前は全国的にも知名度が高いからなのか、地元の住民のみなさんの意向なのかはわかりませんが、かつて「妙高高原町」と記されていたであろう町境を示す標識は「町」の部分を隠したまま残っていました(気がついたら通り過ぎてしまったので写真無しです^^;)

 

■おまけ■

本日の「終点」、直江津港

■おまけ その2■

たまたま信号待ちになったので・・・北陸新幹線の上越妙高駅

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「信濃の国」を歩く【その6】 高島城と諏訪湖

2013-04-19 19:03:47 | 「信濃の国」を歩く

 長野県歌「信濃の国」の3番は・・・


木曽の谷には 真木茂り
 諏訪の湖には 魚多し
民のかせぎも 豊かにて
 五穀の実らぬ 里やある
しかのみならず 桑とりて
 蚕飼いの業の 打ちひらけ
細きよすがも 軽からぬ
 国の命を 繋ぐなり

 昨日は、ここで歌われている諏訪湖へ行ってきました。

 昨日の日記(→こちら)にも書きましたが、昨日は高速道路を使わずに上田経由で下諏訪町へ行きました。通常なら国道142号で和田峠越えをするのですが、22日まで和田峠は全面通行止めとのこと(分岐点のガソリンスタンドの表示で知りました。信号で止まって助かった)。和田トンネルの通行料を払うのももったいないですからね。右に出していたウィンカーを左に切り替えて大門街道経由で下諏訪町へ行くことにしました。

 和田峠の通行止めという「想定外の事態」のおかげで、下諏訪町へ行く途中で高島城に立ち寄ることができました。城内の案内板によると、廃藩置県で天守閣は撤去されたものの諏訪住民の要望で1970年に復元されたとのこと。現在は小天守と冠木門、角櫓が往時の姿を偲ばせています。

 Wikipediaによると、高島城の築城は1592年。武田信玄に滅ぼされた諏訪氏の居城は別のところにあったようです。

 

なんと諏訪姫が出迎えてくれました!!
(実際には諏訪姫はいませんwww)

高島城は桜の名所でもあります

こちらのアングルのほうが綺麗ですね
(冠木橋から撮影)

上の写真は逆光を補正して撮影
こちらは逆光をいかして撮影してみました

諏訪湖半の桜
下諏訪町へ行く途中のコンビニから撮影

諏訪大社下社春宮から下社秋宮へ行く途中
駐車スポットがなくて、こんな写真しか撮れませんでした


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「信濃の国」を歩く【その5】 木曽義仲(その2)~義仲桜、義仲馬大門と安良居神社

2013-04-18 22:16:04 | 「信濃の国」を歩く

 今日は所用で下諏訪町へ行ってきました。高速道路を使わない日は、たいてい「木曽義仲挙兵の地」を通ります(「木曽義仲挙兵の地」については→こちら)。今日もこの道を通って下諏訪町へ。

 この周辺には義仲ゆかりの地がいくつもあるのですが、そのひとつが「義仲桜」と「義仲馬大門」。上田市役所の公式サイト(→こちら)によると、「むかし、木曽義仲が依田城によって平家打倒の兵を挙げたとき、岩谷堂の観音様に参詣して戦勝を祈願した。その時、正面の石段を上がらずに、馬上でわき参道の急坂をいっきにかけあがって山門前に至った。この時からこのわき参道を”義仲馬大門”と呼ぶようになった。」とのこと。「義仲桜」は「岩谷堂の山門前、石段を上りつめた左側に、幹の周囲が5m近くもある、しだれ桜の大樹があります。樹齢800年ともいわれている」桜のことだそうです(同前)。

「義仲桜」だと思って撮影したのは、ただの桜でした(泣)

 今日は「義仲桜」が目的でなかったので、下調べをしていませんでした。この周辺にに咲いている桜を「義仲桜」だと思っていた(^^;)。次にこの道を通るときは、もう散っているだろうなぁ。残念。

 撮影を終えて下諏訪町に向かっている途中、丸子公園近くの川に鯉のぼりが泳いでいました。これは想定外。丸子公園に車を停めて、撮影ポイントをさがしていると、ここにも「義仲ゆかりの地」である安良居神社がありました。

木曽義仲が創建したと伝えられる安良居神社

 説明書きによると、「かつては八幡神社とも呼ばれ」ていたそうで、「寿栄二年(1183年)の創建と伝えられ木曽義仲が依田城館に逗留中に源氏の氏神である八幡大菩薩を祀り創建したと伝えられ、出陣に先立ち愛宕神社(御嶽堂)で行なった、『笠懸』の矢を八幡神社に奉納した」とあります。

 「義仲ゆかりの地」の周辺は駐車スペースがほとんどないので、この駐車場はたいへんありがたい。今度は下調べをして「義仲ゆかりの地」巡りをしたいと思います。


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「信濃の国」 J-POP VERSION

2013-04-04 23:09:19 | 「信濃の国」を歩く

 Facebookで知人が「いいね」していたCDを思わず購入してしまいました。その名も「信濃の国 J-POP VERSION」。「濃」の「曲」の部分が真田の六連銭になってるのが、いいなぁ。

 2012年2月12日の日記でもご紹介したように(→こちら)、「信濃の国」にはいろんなバージョンが存在していることは知っていましたが、CDになっていたとは!!

 CDには「J-POPバージョン」のほか、「ハッピー・パワー・ユーロ・ダンス・バージョン」「パラパラ・キラキラ・高速ミックス」「スーパー・ビューティフル・トランス・バージョン」と、4つの異なる「信濃の国」と、「木曽節トランス・バージョン」が収録されています。通販で980円でした。

 ところで、「信濃の国」の5番では、「♪仁科の五郎 信盛も~」という一節がありますが、仁科五郎は織田軍の猛攻にさらされた高遠城を守り自刃した仁科盛信(武田信玄の五男)のことだと思うのですが、作詞家の間違いなのでしょうか? それとも別に仁科五郎信盛という人がいるのでしょうか?

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「信濃の国」を歩く【その4】 碓氷峠越え

2013-04-01 21:50:26 | 「信濃の国」を歩く

 長野県歌の6番は

吾妻はやとし 日本武
 嘆き給いし 碓氷山
穿つ隧道 二十六
 夢にもこゆる 汽車の道
みち一筋に 学びなば
 昔の人にや 劣るべき
古来山河の 秀でたる
 国は偉人の ある習い

------------------------------

 ♪吾妻はやとし 日本武
   嘆き給いし 碓氷山

 とは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が碓氷峠を越えて信濃の国に入るとき、妻の弟橘姫(オトタチバナヒメ)のことを思い出し「あづまはや」と言った(「古事記」「日本書紀)という伝承からきています。

 ♪穿つ隧道 二十六
  夢にもこゆる 汽車の道

 日本武尊が妻を思った碓氷峠には、隧道(トンネル)が26もあり、難所であった碓氷峠がいまでは夢のように汽車で簡単に越えることが出来るのです。

・・・といった意味です。

 私も学生時代によく利用した路線ですが、いまでは簡単に鉄道の旅ができなくなってしまいました。1997年10月1日の長野新幹線(正確には北陸新幹線)の開業とともに、碓氷峠越えの在来線は廃止。鉄道に限っていえば、いまでは碓氷峠は新幹線に乗らないと越えることが出来ません。

 この碓氷峠越え(横川―軽井沢)が開業したのが1893年の今日、4月1日です。新幹線の開業とともに横川―軽井沢間は廃止されるとともに、軽井沢―篠ノ井間もJRからしなの鉄道へ経営が移りました(篠ノ井―長野間はしなの鉄道がJRに乗り入れるという形態になっています)。

長野―篠ノ井間ではJRにしなの鉄道が乗り入れています
(左がしなの鉄道、右がJRの車両=安茂里駅付近にて)

 さて、北陸新幹線が金沢まで延長されるとどうなるか? 現時点では長野~黒姫(長野県内最後の駅)までが、しなの鉄道となります。つまり、しなの鉄道は「軽井沢―篠ノ井」「長野―黒姫」という分断された2つの路線となるわけです。

 JRはどうか? 松本―篠ノ井は篠ノ井線、篠ノ井―長野および黒姫―新潟は信越本線になるそうです。ちなみにJR東日本によると、高崎―横川もいまだに信越本線なのだそうです。う~ん、ややこしい。

 ややこしいだけなら、問題がありませんが、こんな問題が・・・。長野―篠ノ井間はJRに乗ってもしなの鉄道に乗っても料金は同じなのですが、JR(新幹線)もしなの鉄道も停車する上田―軽井沢間で比較すると、JRは営業キロ42.4kmで740円、しなの鉄道は40kmで850円!! もちろんJRは新幹線特急券が必要ですが、運賃だけみればJRのほうが安い!!! ちなみに、上田―小諸(しなの鉄道)は390円、小諸―佐久平(JR)は200円。上田―佐久平(JR)は400円!!!!

 私も新幹線は利用しますが、「住民の足」の役割を果たしている在来線の値上げにつながると思うと、複雑な気持ちです。


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「信濃の国」を歩く【その3】 信濃の国は十州に<山梨編>

2012-06-29 23:30:19 | 「信濃の国」を歩く

 所用で下諏訪町へ行ってきました。少し早く着いたので、諏訪湖畔へ。天気がよければ、左右の山の合間に富士山がみえるのですが、今日はみることができませんでした。

下諏訪町から諏訪市方面をのぞむ

岡谷市からですが、こんな感じにみえます。
(昨年12月撮影)

 所用を終えて、「富士見町ならみられるかも」と、富士見町へ。残念ながら富士見町からもみることができませんでした。場所が悪かったかな?

 同じ道を戻るのも面白くないので、プチ旅行のはじまりはじまり。

 さて、本題。

 長野県歌「信濃の国」の歌いだしは、♪信濃の国は 十州に 境連ぬる国にして・・・ 十州とは、旧国名の甲斐、武蔵、上野、越後、越中、飛騨、美濃、三河、駿河、遠江。現在は、山梨、埼玉、群馬、新潟、富山、岐阜、愛知、静岡の8県と境を接しています。

 現在地(富士見町)は山梨県と接しています。とりあえず山梨県境を越え、南牧村から佐久市を経由して長野市へ帰宅するルートを考えました。夏だと避暑におとずれた方々でごったがえしているのですが、この時期はしずかなもんです。走ることおよそ15分、山梨県に入りました。

富士見町と山梨県の境には小さな川が流れていました。
標識はありませんが向こう側は北杜市です。

長野県側はこんな感じ。
「長野県」「富士見町」の標識がみえます。

 見るものも何もないので^^; 写真を撮影して出発~。八ヶ岳高原ラインを走り、南牧村をめざします。林に囲まれた気持ちのよい道をどんどん東へ。林の南にはJR小海線(いまは八ヶ岳高原線というのかな?)が走っています。リゾート地の清里に近づくと、避暑地の趣がでてきました。記憶に残っているだけですが調布市や小平市、明治大学の看板も。夏になると賑やかになりそうです。

 八ヶ岳高原ラインに別れをつげ、国道141号へ。ほどなく県境です。写真をとり、せっかくなのでJR最高地点とJRで一番高いところにある野辺山駅に立ち寄ってきました。

長野県に帰ってきました。あっという間でした。
「長野県」「南牧村」の標識。みにくいですが「標高1374m」と書かれています。

山梨県側。ここも北杜市です。
上の写真だと「これより長野県」
こっちは「ここから山梨県」
統一性がないですね^^;

JR鉄道最高地点 標高1375m
山梨県から長野県に入ってすぐのところにあります。
「最高」にあやかって合格祈願の小さな祠が。絵馬もかけてあります。

写真右手が野辺山駅
野辺山駅を出て左折、最初の踏み切りの手前を右折
線路沿いに走ると、この踏切になります

 

突如として現われた巨大な建造物
野辺山電波天文台です
JR最高地点から野辺山駅へ向かう途中、右手にみることができます

JRでもっとも高いところにある野辺山駅

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「信濃の国」を歩く【その2】 佐久間象山編~八幡原史跡公園と象山神社

2012-06-18 21:02:29 | 「信濃の国」を歩く

 長野県歌「信濃の国」ゆかりの地を歩く第二弾は、佐久間象山。「信濃の国」では【その1】で「挙兵の地」を訪れた旭将軍・木曽義仲と同じ「5番」で歌われています(その日の日記→こちら)。

 前回はSDカード未挿入(泣)という痛恨のミスで撮影できなかったので、およそ10日ぶりの松代行きです。たった10日ですが、日が長くなりましたねぇ。だいぶ明るく、フラッシュなしでもOKでした。

 まず訪れたのは「八幡原史跡公園」。ここは象山ゆかりの地というよりは、第4次川中島合戦のさい武田軍本陣の信玄に上杉謙信が斬りかかった(とされる)場所として知られています。園内には信玄が謙信の太刀を軍配で受け止める像が立っています。何度も訪れたことがある場所ですが、今回は「一騎打ちの像」とは正反対の位置にある佐久間象山像が目的(左の写真が「八幡原史跡公園」に立つ佐久間象山の像です)。

 手元にある「日本史人物辞典」(山川出版社)によると、松代藩の下級武士の子だった象山は「16歳から漢学の修行を始め、佐藤一斎に師事。1839年(天保10)江戸に私塾象山書院を開く。老中で海防掛の松代藩主真田幸貫(ゆきつら)の命により蘭学・砲術を学んだ」とあります。妻は、勝海舟の妹だったそうです。

 さて、この辞典、「さくま・しょうざん」とあります。「さくま・ぞうざん」では引くことができません。県歌「信濃の国」では、♪ぞうざん さくま せんせいも♪ と「ぞうざん」です。この付近の観光案内のローマ字表記も「ZOZAN」です。長野県民の私は「ぞうざん」だと思っていましたし、私のPCのIMEも「さくましょうざん」は「佐久間称算」、「さくまぞうざん」は「佐久間象山」と変換します。どちらが正しいのでしょうね?

  余談はこのくらいにして・・・「八幡原史跡公園」を後にして、象山神社へ。「神社」ですから祀られている神様がいるのですが、この神社の「神様」こそ佐久間象山その人です。象山の生誕地と隣り合うようにして境内が広がっています。

象山神社正面にある「佐久間象山先生」像
こちらは騎馬像です

騎馬像の横に参道が続いています

象山神社社殿

 鳥居を入ったところにある説明書きによると、「江戸木挽町に塾(象山書院・管理人注)を開き、「勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、橋本左内など維新の英才を輩出」したとのこと。吉田松陰をペリー艦隊に密航させた責任をとらされ松代に蟄居していた当時も「高杉晋作、久坂玄瑞、山形半蔵、中岡慎太郎、石黒忠悳らが面会に訪れ」と、幕末の志士の名が並びます。長野県民で佐久間象山を知らない人はほとんどいないと思いますが、これらの面々をみると文字通り「全国区」で活躍した人物だったことが伺えます。

 さらには、境内にある「省けん録」の最後の一節を刻んだ碑には、「余年二十以後、乃ち匹夫も一国にかかわり有るを知る。三十以後、乃ち天下にかかわり有るを知る。四十以後、乃ち五世界にかかわり有るを知る」(書き下し文は象山神社公式サイトより)、日本だけでなく世界中に繋がる重要な役割を悟ったと(写真)、国内だけでなく世界に視野を広げていたことがわかります。

 いまでは閑静な住宅街の真ん中にある象山神社ですが、目と鼻の先に「象山記念館」があります。もちろん閉館時間は過ぎていますので外観だけを撮影してきました

 館内には「佐久間象山が製作した電気治療器をはじめ科学に関する資料、佐久間象山が政治に関して述べた記録類」などのほか、「日本ではじめての電信実験を行なった」とされることにちなみ「現在では当館にしかない電話機もあります」とのこと(「」内は記念館前の館内案内より)。これは一見の価値ありですね。今度は館内ものぞいてみよう。(開館時間9時~5時=受付は4時半まで、一般250円・小中学生100円)。

象山記念館

象山記念館(現在位置)と周辺史跡の案内図
「真田十万石」の城下町とあって真田氏関連の史跡が多いです
ここから左手(西方)にすすむと旧大本営地下壕があります

 蟄居をとかれ一橋慶喜(のちの15代将軍・徳川慶喜)に招聘されて上京(江戸ではなく京都です)した象山は公武合体と開国を唱えましたが、1864年、京都・三条木屋町で志半ばにして尊皇攘夷派の凶刀に斃れます。 享年54歳。機会があれば、象山最期の地もおとずれてみたいものです。

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「信濃の国」を歩く【その1】 木曽義仲(その1)~木曽義仲挙兵の地

2012-06-08 20:28:30 | 「信濃の国」を歩く

 かねがね長野県歌「信濃の国」ゆかりの地を訪ねたいと思っていましたが、その第一弾。「歩く」と言っても車なんですけどね^^;

 「信濃の国」の5番は・・・

   旭将軍 義仲も
   仁科の五郎 信盛も
   春台 太宰先生も
   象山 佐久間先生も
   皆此の国の 人にして
   文武の誉 たぐいなく
   山と聳えて 世に仰ぎ
   川と流れて 名は尽ず

・・・と信濃の国出身の文武の才あふれる偉人を紹介しています。その最初に登場するのが旭将軍・木曽義仲。平家との合戦のさいに京の都に最初に源氏の白旗を立てた人物でもあります。現在放送中のNHK大河ドラマ「平清盛」のサイトをみると、「人物相関図」に名前がないので登場しないのでしょうか?

 さて、今日は長野市から下諏訪町まで行く用事があったので、途中、「木曽義仲挙兵の地」を訪れました。「木曽」と名がつくことから、木曽とかかわりが深い人物なのでしょうが、今日訪れた地は木曽ではなく上田市です。上田電鉄と並行する県道65号を平井寺トンネル方面にすすみ、とちゅうで丸子方面へ左折。これまでも何度も通ったことがあるので、ナビなしでも余裕~^^。最初にみたときは、さすがに目を疑いました。「なんで木曽じゃなくて、ここなの??」と。

 この付近は義仲ゆかりの場所がかなりあるようで、「義仲桜」という桜の木もあるとのこと。今度は桜の季節に訪れたいものです。

はじめて通ったときは思わず目を疑った
「木曽義仲挙兵の地」の標識

「木曽義仲挙兵の地」より上田市街地方面をのぞむ

 ところで、木曽町(旧日義村)の徳音寺には甲冑姿の義仲と巴御前の像があるそうです。「信濃の国」には木曽の名所がいくつかうたわれているので、いずれ訪れてみたいと思います。

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「信濃の国」

2012-02-21 23:40:21 | 「信濃の国」を歩く

 「信濃の国」といえば、長野県民は誰でも知っている(ウソだw)「長野県歌」。県庁にも1F正面受付から階段を2Fにあがると「信濃の国」の歌詞が掲げられています(写真)。

携帯で撮影したので歌詞判別できず(;;)

 その「信濃の国」。「正統派」バージョン(?)だけでなく、様々なバージョンがあるようです。これだけ親しまれている(のか??)「県歌」も珍しいのでは?

 でも、♪松本、伊那、佐久、善光寺 4つの平らは肥沃の地~♪ って伊那平って言わないよなぁ。伊那はやっぱり「伊那谷」ですよね。

■高橋あず美 現代版「信濃の国」
http://www.youtube.com/watch?v=JSjqG3Wv298&feature=related

■甲子園でも・・・
松本工高の応援
http://www.youtube.com/watch?v=2C9U14bAXBo&feature=related

長野日大の応援
http://www.youtube.com/watch?v=NkF5fmncmSs&feature=related

■松本山雅も・・・
http://www.youtube.com/watch?v=Nlst66PvVTo&feature=related

■さらに、こんなものまで・・・【長野県民必見】
http://www.youtube.com/watch?v=Q3fYAIqex9w(YouTubeから削除されました)
なんで県文?? 

■ちなみに原曲は・・・
http://www.pref.nagano.lg.jp/soumu/koho/kenka/kenka.htm

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