皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

忍城三重櫓跡

2018-05-17 20:04:02 | 行田史跡物語

市役所前の通りを南に走り、信号を過ぎると美しく開けた水城公園に出る。昨年来足袋蔵のまち行田として日本遺産に認定され、その歴史的建築物(大正期)の保存活用事業として「旧忍町信用金庫」が公園の東側に移設され、注目を集めている。
 一方公園北側入り口にある忍城三重櫓史跡は、中央小学校の東口の前にあり、人通りも少ない。

説明によれば明治6年忍城取り壊しの際、上棟札に元禄十三年(1700年)とあったので藩主阿部正能の時代であり、老中を兼ねていたことから当時江戸城天守消失の時代にあって、その名をはばかり、三重櫓と名付けている。

明暦三年(1657年)の振袖火事と呼ばれる大火で江戸城天守郭消失しており、幕府に遠慮して築城できなかったと伝わる。但し阿部忠秋が江戸時代最多三十二年の老中を務め三代正武は二十三年を老中職を務め、合わせて忍城も改築している。天守閣という名はつけなかったが、その居城にふさわしい威容を誇っていたという。明治六年の忍城取り壊しにより、今はその当時姿を見ることはできない。
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第二回講座 市民ボランティア活動

2018-05-17 17:26:08 | 生涯学習
行田市民大学9期生二学年になって初めての講義は市民ボランティア活動についてでした。始業式を欠席したためしばらくぶりの授業となりました。講師は行田市社会福祉協議会の長谷川淳先生です。
初夏を迎え、ものつくり大学構内も緑が多くなります。(悪くいうと草が延び放題)施設の管理も大変だとおもいます。
ボランティア元年と呼ばれる阪神淡路大震災があった1995年。社会福祉協議会はボランティア活動の支援を始め、地域にあわせて福祉増進に取り組んでいます。少子高齢化の進行で、サポートする側より、受けるほうが圧倒的に増えて来ている現実があります。
印象に残ったものとして、阪神淡路大震災以降生まれた、「クロスロード」という概念。震災時の混乱から無理難題が生じ、対応するためサポート活動への設問が出来たそうです。「クロスロード」とは、「分かれ道、岐路」のことで、重大な決断を意味します。またクロスロードに正解はなく、議論し、相手を理解し、共感することに重点をおいています。
例題として、自治会長が80代の独り暮らしの男性の家を訪ねて、様子を見に行った際、昨日からの新聞がたまっ
ていて鍵は開いていたら、直ぐに中に入って確認するか、それとも誰かに連絡しますか。という問題について議論します。人命救助の観点で考えれば直ぐに中に入ります。一方事件や事故の観点から見れば、少なくとも誰かを呼び複数で確認するほうが、安全だといいます。
正解はないそうです。考えさせられる問題が社会福祉の現場にはたくさんあるそうです。なかなか自分で出来ることは少ないですが、心に響いたのは「一人の百歩より、百人の一歩」という言葉です。
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