市役所前の通りを南に走り、信号を過ぎると美しく開けた水城公園に出る。昨年来足袋蔵のまち行田として日本遺産に認定され、その歴史的建築物(大正期)の保存活用事業として「旧忍町信用金庫」が公園の東側に移設され、注目を集めている。
一方公園北側入り口にある忍城三重櫓史跡は、中央小学校の東口の前にあり、人通りも少ない。
説明によれば明治6年忍城取り壊しの際、上棟札に元禄十三年(1700年)とあったので藩主阿部正能の時代であり、老中を兼ねていたことから当時江戸城天守消失の時代にあって、その名をはばかり、三重櫓と名付けている。
明暦三年(1657年)の振袖火事と呼ばれる大火で江戸城天守郭消失しており、幕府に遠慮して築城できなかったと伝わる。但し阿部忠秋が江戸時代最多三十二年の老中を務め三代正武は二十三年を老中職を務め、合わせて忍城も改築している。天守閣という名はつけなかったが、その居城にふさわしい威容を誇っていたという。明治六年の忍城取り壊しにより、今はその当時姿を見ることはできない。