古代東国開拓にあった彦狭島王、三諸別王の伝説がある加須市樋遣川古墳群。七塚と呼ばれ御室社のある諸塚を中心に古墳が点在し、利根川低湿地を象徴する七沼と合わせて『七塚七沼』とも呼ばれていました。現在残る古墳は浅間・稲荷と合わせ三つののみとのことですが、田園地帯でなお、鬱蒼とした樹木に覆われています。『国造本紀』によれば崇神天皇の御子豊城入彦の孫にあたる、彦狭島王は上野の国造となったとあり、その子御諸別王は父の果たせなかった東国開拓を進めたと伝わります。
「御室大明神縁起」によれば、景行天皇五十六年三諸別王東国平定の詔を奉じて当地開拓の任に当たるとあります。その徳を称え社を建立し祀るとされます。また地名樋遣川については、祭神三諸王が火矢を以て賊を破り、「火箭里」と呼ぶことから転じたとされます。ご祭神が松葉で目を傷めた伝説から、境内に松はないそうです。
塚の前にある神門はとても重厚で、また階段を上り塚の上に立つと神秘的な雰囲気に包まれます。
氏子区域においては御室(おむろ)様と呼ばれ、安産の神として信仰があるといいます。これは祭神三諸別王が賊に追われた際産婦の寝所に潜んでその難を逃れた際、王が安産を誓約したことによるといいます。
古代の伝説を今日まで数多く伝える古社であり、初めて参拝しその神聖なる空気に触れることができました。