皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

皿尾城の歴史①

2017-06-19 21:42:00 | 皿尾城の空の下
私の住む皿尾村に、その昔上杉謙信にまつわる城があったことを村の人達はあまり知らないようです。かくいふ私こそが、聞いたことはあっても、それほど興味も持たず今日まで生きてきたことを、恥ずかしくまた意外な歴史はかくもまた、身近なところに眠っているものだと今更ながら感心したりもしております。ふとしたきっかけで、その歴史の息吹きに触れ、目から鱗が落ちるが如く身の回りの歴史や文化に興味をひかれながら、ここ一年ばかりをすごしてきたなかで、改めて皿尾城について私自身が感じていることを少しずつまとめてみたいとおもいます。
写真にある皿尾城跡碑は昭和54年行田市教育委員会が、行田ライオンズクラブの後援で建ててくれた石碑です。私が小学校に入学した頃です。

永禄4年(1561年)3月上杉謙信輝虎は再三忍を攻め皿尾の地に築城し、木戸監物入道玄斉に守らせたが、成田氏と通じた為、謙信は怒って城を焼き払うと『北越軍記』当にあるが、今は外張という地名を残すのみである。

所在地 行田市大字皿尾字外張337
皿尾農民センター南側
外張という地名は字名として残るのみであり、登記簿の全部事項証明書には現在でも目にすることができます。読みは「とはり」と読みます。
皿尾農民センターは地区自治会館として1965年前後に建てられて、平成27年皿尾ふるさと館に建て替えられた歴史を持ちます。
また、『増補忍名所図会』によれば、上杉謙信は忍城を三度攻めたと伝えられています。
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庭師が来たりて枝おろす

2017-06-19 20:19:10 | 生活
年に一二度植木屋さんに庭の手入れをお願いします。父の代から、色々な方がきていますが、ここ数年小学校の同級生の庭師に来てもらっています。彼の父が庭師で跡を継いでいる形です。私の地区で五軒程彼に頼んでいます。
実のところ、彼が来る前は業者の方にお願いしていましたが、価格の面で折り合わなくなり、一年ほど庭もほったらかしにしていたところ、近くの家に来た彼の方から声をかけてもらいました。やはり庭は生き物で、手を入れなければ荒れてしまいます。昨日今日の二日間でかなり綺麗に切ってもらいました。庭に二本の松があり、新芽が伸びた状態から美しく切り上げます。素人では松の手入れはなかなか出来ないものです。私も出来る事は何でも自分でやるをよしとする方ですが、松の手入れはやった事がありません。高い枝中心に刈り込み、神社参道のくねを刈ります。くね刈りは自分でもやりますが仕上がりが全く違います。神社境内地と自宅の境に7本の木が植えてあり、2年に一度枝下ろしをしてもらいます。一般家庭でこれ程の枝下ろしをするお宅は少ないと思います。一日私も片付けをしながら、一緒に過ごしていると話も尽きません。
お互いの仕事のこと、家族のこと、同級生のこと、地区の世間話など。四十年前位から知っている訳ですが、時間を隔てても話が尽きないのは、幼い頃同じ時間を過ごした証なのでしょう。
庭師という仕事も大変なようですが、自分の腕と人脈を元に、人との縁を介して一人でやって行く独特な仕事だと感じました。北埼玉ではまだ土地も広く庭のある家が多いため、かなりの需要があるようです。実際に休みは月に数日しかないと話していました。また、相続などで代替わりすると、人伝に新たに頼まれたり、また通り沿いの家で刈っていると、通りがかった人にうちにも来てと頼まれたりするようです。向こう2ヶ月はほぼ予定でいっぱいのようで、先に延ばしてもらうことも多いと言います。
仕事ぶり、話ぶり共に自由で奔放なようですが、積み重ねた苦労と経験がにじみ出ていました。

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