イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

子供の心は神聖なのか・・思春期を反省する (3/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-07 | 第九章「愛」

オンライン講座でK先生は縄文中期(約5000年前)の中央高地周辺の土偶の顔は幼子の顔をシンボル化したのではないかという説を披露されていた。八王子の宮田遺跡から出土した子抱き土偶は私の好きな土偶であるが、その幼子の顔はまさしく同種である。残念ながら母の顔は欠損しているが同じような幼子の顔であった可能性は高いと思う。土偶がおそらく当時の信仰の対象であると思われるので、子も親も神聖なのであろう。

縄文中期の南アルプス市のラヴィちゃん。この顔も典型的な中期土偶の顔

幼子が神聖。確かに幼子の顔は可愛く憎めないが本当に神聖なのだろうか。自分のことを思い出しても、自分が無垢であるとかは到底思えない。悪いこともしたし子供故に残酷なことも結構したように思う。家の裏庭は私の幼い頃の活動領域であり、考えてみれば悪いこともした。そこにはドクダミが繁茂していて独特の香りを漂わせていた。そんなことで、今でもその匂いを嗅ぐと瞬間的に自分の幼いころの楽しさや悪事を思い出させてくれる。しかし、その思い出は自分を自己否定的な泥沼に誘うこともなく、不思議な自由さを与えてくれる。

幼子、少年少女時代から13-14歳になるころ、世界は大きく変わっていく。その変わり目の時期が少年少女や幼子の時代が神聖であることを間接的に教えてくれるようでもある。それを追求することは深淵なテーマであり、小説でも立派なテーマになるのだろう。

13-14歳のころは本人にとっても、自己嫌悪を覚えたり父母や学校に反発を覚えたりと、いろいろ大変な時期である。身近な親なども今までと異なる子供の大人の片鱗に戸惑いを覚える時期ではなかろうか。私の場合、すでに遅きに失するのだが、自戒をこめてこの時期の親の心がけを挙げてみたい。

親という立場は自己肯定・他者否定(この場合は子供否定)を生みやすい。いざという場合などは仕方がないが、平時ではなるべく自己肯定・他者肯定のスタンスをとれるようにするのが良いのではないだろうか。別の言い方で子供の友人や兄弟になる感覚を持つことかもしれない。このような感覚であれば、子供の話を良く聴くことができ、それは時に魂の交流といった神聖な領域に入り、子供だけでなく自分自身も成長できるだろう。

もちろん、本人も同じように自己肯定・他者肯定のスタンスをだんだん覚えていけば、身近な友人をはじめ様々な人と今までと違った交流ができるようになってくるだろう。そして、対等な関係の中で相手を理解し考えや行動を認める(賛同ではなく)ことを覚えていく。それは世界が広げると同時にアイデンティティを確かにする方向に誘ってくれるだろう。

3/10 真善美に触れる・・今も縄文も

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静けさから湧き上がる真実・・回答は自分の内に (1/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-06 | 第九章「愛」

断捨離の教科書にも出てきそうだが、本が多くなり本箱を買ったりするとすぐ埋まる。それと同じように自分の朝起きてから寝るまでの時間も簡単に埋まっていく。忙しいとは心を亡くすと書くが、本当にそうだと思う。もちろん、それなりに努力して何かをしているわけだが、糸の切れた凧、羅針盤のない舟、そんな状態に簡単に陥っていく。

本箱に新しい本が入る空間を用意する。自分の一日の中で特別な時間と空間を用意する。それがどうやら自分らしい道を歩くために実に大切なことだと気づいたのは結構年をとってからだった。さらに、思い出してみると父も同じようなことをしていたようだ。祖母が亡くなってから本家でなかった父は小さな仏壇を買って、祈る時間と場所を確保していた。

私は、母がカトリックであったこともあり、日本では珍しいキリスト教徒であるが、毎日祈りの時間を5分でもいいから持つようにしている。私の父方の実家は広島で浄土真宗。母方は東京で日蓮宗。そして、祖父母が毎日仏壇の前で祈りをささげていたことを思い出す。

縄文時代の竪穴式住居にも炉があり、祈りの場所もあったと思われる遺物もでてくる。恐らく私たちと同じように祈っていたのだろう。

知恵は他からやってくるという考え方もあるが、自らの内から泉のように湧き出るものという考えもある。人の心は意識の世界だけでなく膨大な無意識の世界もあるので私などは経験上後者の考え方に賛同してしまう。様々な問題に私たちはぶつかるが、その回答は自分の内から、静けさの中から湧きだしてくるようだ。

祖父母、そして遥か昔の縄文時代の祖先達も、そのようにして生き抜いてきたのだろう。祈りは自分なりの方法でという考えもあるかもしれないが、伝統的な祈りのやり方も大切にした方が良いと思う。

2/10 真善美に触れる・・今も縄文も

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普遍的な真実に触れて希望を感じる (1/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-02 | 第九章「愛」

生きるのが辛い時に真善美に触れる。それでどれほど救われてきたか。今日は真善美の真。

さて、7月が終わり8月に変わるころの深夜、NHKのBSを見ていたら「数学ミステリー白熱教室」(バークレイ校 エドワード・フレンケル教授の講義 4回シリーズ)をやっていた。しばらくボーとみていたら。数学の特徴についてピタゴラスの三平方の定理を引き合いに的確に説明されていた。ギリシャで2000年以上前にピタゴラスが大変重要な定理を発見したが、実は同じような発見はインドや中国でもあり、三平方の定理はピタゴラスが仮にいなくても、誰かが見つけただろうということだ。

今年になって映画で地動説をガリレオをよりずっと前に発見した4世紀のアレキサンドリアの女性天文学者ヒュパティアの物語を興味深く見たり、縄文の世界でも現代の精度の高い暦に迫る巨石で暦を表現する遺跡を訪問したりで、真理、特に科学的真理は日本列島にホモサピエンスが住み始める4万年前頃から無名の誰かが発見しても不思議でないように思うようになってきている。偉人がいて真理が発見されるというより、真理が先にあり、それが単純に誰かにより発掘されるというような感覚である。

話を8月1日の深夜の白熱教室に戻そう、いくつかの数学の研究領域や物理の世界の統一理論の講義は面白く、早朝近くまで見続けてしまった。写真の蝶のような対称性(写真では左右対称)をキーに数学の数論、調和解析、幾何学や物理学の世界を統一していく不思議な世界。

私も大学生時代に卒業研究で最新の数理統計モデルが幾何学でも説明出来ること知って痛く感動した経験がある、真実を知る喜びは人生に大きな希望を与えてくれる。ふと、少年時代に庭に降り積もった美しい雪を見ながらエンジニアであった父が、人間は自然の真実の真似をする、そんな存在にすぎないと言っていたことを思い出した。ひょっとしたら、私の真実との出合いの原形なのかもしれない。

私の脈絡のないように見える人生も、真理というめがねを掛けてみたらどうだろうか。科学的な真理の面は管理工学や等価変換創造論を経て、職業としてマーケティングを選んだり、現在の私の生き甲斐の心理学や縄文小説にも希望を与えていると思う。しかし、科学以上に宗教的な真理の世界(私はカトリックだが)も平行して私に希望を与え人生を豊かにしてくれていると思う。

さて、今もそうだが縄文時代をも貫く真理。雨が降ってポツリと池に円形の波紋が広がるが、これは今も縄文時代も変わらないだろう。同じような光景とそれから湧き起こる感情は私達だけでなく縄文の祖先も同じだったかもしれない。太陽の動きが変曲点を迎える冬至の入り日がを神秘的だと思うのも、今も縄文時代も変わらないだろう。大栗川に面した北側の尾根付近では北側から吹く風が夏は心地よいこと。これも今も縄文時代も変わらないかもしれない。理不尽な死などに接した人生の極寒のときに神仏の世界をより身近に感じるのも同じだろう。縄文後期という冷涼化と人口減少の時期になると、ストーンサークルや石を多用する時代になるが、草木ではなくより確かで永続的な朽ちない真実を求めた時代のように感じてならない。文化的に文字の使用がなかった(禁じられた?)社会にあって、真実を求める人々の好気心はどこに向かったのだろうか。

電車に乗って感じるのは、今の人がスマホに見入る世界だ。五感のうち視聴覚にかたより、文字やゲームなどの偏向した世界だ。一方縄文時代の祖先は、五感全開の世界。しかも冷蔵庫や電化製品も皆無なのだから、数百種類の植物や数十種類の動物を食料にしていたとも言われるので、動植物の形状や生育の仕方などについては私達と比べても格段の知識と経験を個人だけでなく社会的にも持っていたと思われる。

そんな中で、自然の中にある真実(数学的な世界もあろう)を数式は使わなかったにしろ直感で見出していたかもしれない。縄文時代の土器や土偶などに描かれた図像の解釈は神話や民族事例などからのアプローチで少しづつ進んでいるようにも思えるが、数論とか幾何学などの数学的世界からもあるのではないかと思う。

縄文時代の祖先は脳が現代人と比べ同等であったとも言われている。そんな祖先には今と同じように天才も出現したのではと思う。そして、何らかの真実が図像の中に込められている可能性はないとも言えない。数学的な真実もあるかもしれないが、哲学・宗教的真実も。

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