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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

鵜(う)さんはどんな感情に苦しんでいるのだろうか?(感情表現 3/10)

2015-04-25 | 第三章「無意識の世界」

 昨日は、ひさしぶりに大栗川を散策した。東西を流れる川は今は本当に東西(西から東へ)に流れているが、縄文時代は蛇行していたのだろうか?海進の縄文中期などは、一回りは大きな川で、東西をゆったりと貫いていたのだろうか?そんなことに想いを馳せてしまう。

 時代が下がった律令時代以降などは子午線(南北)が宗教上も大きな意味をもつようになったが、例えば寝るときの北枕、その前は東西が幅をきかせていたようだ。先の新宿縄文人も確か東西に伸展葬で葬られていたようだし。

太陽をはじめ天体は東からのぼり、西に沈む。大栗川沿いではないが、近くの境川流域の田端遺跡は、冬至の太陽が丹沢最高峰の蛭が岳に沈む地点で、話題になったことがあるが、大栗川流域でも、同じような信仰があったかもしれない。吉野裕子さんの「隠された神々」を読んでいるが、鹿島神宮から出雲大社まで、主要な神社が東西の一直線上に並んでいると知って驚いたりした。

 さて、そんな大栗川であるが、昨日は写真の黒い鳥が羽を広げて異様な様子で、恐らく5分以上同じ格好で川の中にたっていた。何かを威嚇しているようであり、といって、その相手がなんだかは不明。威嚇ではなく羽を乾かしているなど、他の解釈も成り立つ。

 生き甲斐の心理学では、傾聴訓練を基本的な訓練として大事にしているが、その中で「理解」という項目がある。普通、理解するとは例えば相手の言わんとしている理路とかを理解し承服したりすることであるが、生き甲斐の心理学では、相手が苦しんでいる感情を理解することを示すことが多い。あいて、とはいは言わず、自分の感情でもなかなか理解しにくいのだが。

 この黒い鳥。写真で拡大してみたりし、ネットで調べてみると、初めは黒鳥かなとも思ったが、鵜であった。鵜も大栗川にくるのかと何か嬉しくなる。鵜は魚を捕食するので、縄文人は嫌ったかもしれない。鵜に対する縄文人の感情はどんなだったろうか。とはいえ、鵜の気持ちは何だったのだろう。疑惑感、劣等感、停滞感・・・

   

 こんな風に、自分や相手の感情の理解が深めていくと、受容や共感の仕方が変わってくるかもしれない。もちろん、表現力にも関係するだろう。

感情表現 3/10

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新宿縄文人を見学しつつ自分の感情の傾向を観察する!(感情表現 2/10)

2015-04-24 | 第三章「無意識の世界」

先日は、加賀町二丁目遺跡の縄文人の展示を新宿歴史博物館で見学し、その足で写真の現地に行ってみた(写真は加賀町二丁目遺跡周辺)。この縄文人は40歳台の男性なのだが親しく縄文中期の当時の現状を研究した後なので様々な感情が去来した。

男性の遺骨は竪穴式住居の廃屋墓の中にあり、伸展葬で埋葬されていたようだ。当時の風習で頭に被せられた可能性がある加曾利EⅡ式土器があり、副葬品も鹿の角とマイルカの腰飾りが。恐らく社会的地位のある男性だったのだろう。

廃屋墓というのも不思議だ。竪穴式住居というのは、勿論住居なのであるが、それは人を元気にさせる不思議な場所でもあり、再生のイメージにつながる場所だったのだろう。その住居を墓とするのは意外と合理的である。ひょっとしたら、赤の他人の住居ではなく、埋葬された男性にゆかりの住居だった可能性もあるだろう。遺族はどんな人だったのだろう。子供や妻、社会的な地位のある関係者も参列したかもしれない。その時、どのような葬儀が行われたのだろうか。

普通なら100~200年で関東では酸性の土なので骨などは溶けてしまうが、いくつかの偶然が積み重なって、なんと5000年後に遺骨が見つかる。5000年であるので、エイヤと計算すると200世代くらい前の祖先である。数学的に考えると、この縄文人や葬儀に参集した関係者と自分の祖先がどこかで重なる可能性が極めて高い。2の200乗を計算してみると、計算不可能なくらい巨大な数字になる。

  副葬品の土器・・・今回は写真撮影OKということで掲載しました。

  若い鹿の角(左)、マイルカの骨飾り(右)

展示場は写真OKということであったが、遺骨に関しては写真を撮る気にならなかった。思わず手を合わせたくなる心境なのだ。

さて、この日、湧きあがる感情はいろいろあった。写真をもって展示場で撮影していると、何となく不信人物と思われるように感じる。対抗感情転移もあるかもしれない。遺骨の写真を撮れなかったのは、何か倫理道徳・常識といったものが私を規制したのかもしれない。遺跡の現地周辺(既に調査は終わりマンションが立っていた)で感じる子供たちの笑い声など・・・。遺骨を観たときの、湧き起こる感情。正にメメントモリ!

とはいえ、当日は特に取り乱すこともなく、普通に見学をして帰宅した。考古学をはじめ、いろいろ勉強になったが、自分の感情ウオッチングという意味でも役にたった。

因みに、生き甲斐の心理学の学徒は湧き起こる自分のすべての感情に関して、自分を責めるのではなく、その感情の前向きな意味を思索する訓練をしている。エリクソンの分類でのネガティブな感情。不信感、疑惑、罪悪感、劣等感、自己混乱感、孤立感、停滞感、絶望感。このスペクトラムの中でどれが今日は気になっただろうか?あるいは、何か反対に表現しやすかっただろうか?

縄文人を観に行ったのだが、自分を観に行ったような一日であった。公園の桜が綺麗だった。

感情表現 2/10

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感情をうまく表現したり下手に表現したり!(感情表現 1/10)

2015-04-23 | 第三章「無意識の世界」

 3-4歳ころ、私は感情表現が下手であった。6歳の時に、小学校の先生の手に噛みついて嫌われたことすらあった。特に言葉で表現するより直接行動で応えることも多々あった。そんな私であるが、還暦を過ぎて前期高齢者に手が届きそうなこのごろ、縄文時代の歴史小説書きにうつつを抜かしたりしている(笑)。

 勿論、昔よりは感情表現は上手になったとは思うものの、ある日突然、様々な条件が重なると表現が途端に下手になることもある(噛みつくことはさすがにないが・・・)。こうしたことは、生き甲斐の心理学の理論から考えると、実に興味ある問題であり、思索することは奥深く楽しい。

 しかし、世の中には様々な感情表現がすばらしく感嘆することも多い。先日読了した黒岩重吾さんの『闇の左大臣』なども、黒岩氏の絶筆だそうだが、凄いと思う。この小説は石上朝臣麻呂が主人公であるが、大友皇子、天智天皇、壬申の乱のころの様々な人物、天武天皇、持統天皇、草壁皇子、大津皇子・・・の表現が正確で感動的であった。

 当時の時代の細かい分析や理解、登場人物への感情移入・・・本当に素晴らしい。

 さて、過去を振り返ると、自分にもうまく表現できて・・・何か解放感に溢れた経験もある。それは、だいたい得意分野であり、のびのびと表現(芸術的な表現もあれば、理数化的な表現もあり、何か魂の表現といったこともある。)できたときは、何というか天から祝福されているような気持ちになる。

 一方、逆に表現できず、感情のコントロールを失い(爆発したり、泣いたり)惨めになったこともある。今考えると、その原因は疑惑感の処理の問題だったり、劣等感の問題だったり、罪悪感からだったり、停滞感であったり、絶望感であったりする。ただ、その中にあっても、それを表現することで救われていくことも。

 芸術に興味を持ったり、数学の世界に興味を持ったり、歴史に興味を持ったり、心理学に興味を持ったり・・・こういう興味も、よく考えると表現の問題に絡んでくるのだ。

 これから、しばらく表現の問題について考えてみたい。

 感情表現 1/10

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魂の旅で、人は「氏と育ち」を越えられるか?(旅 10/10)

2015-04-22 | 第七章「光と復活体」

 こころの健康に影響を与えるものとして、その人の遺伝、老化、環境。さらに自律神経、免疫、内分泌の6つが良く言われる。旅はこの中で環境に大きく関わるものだと思うが、今回の旅では(勉強会が半分であったが)、家族関係とか遺伝とか老化について結構考えたようだ。

 そして、人のもって生まれた個性について思索することが解決のカギのようだ。

 さて、ちょうど、旅が終わってから某所で宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」の読書会があった。

 その時、この宮沢賢治に東北ではなく関西の今回の旅で出会ったことを思い出した。もちろん石碑なのだが、何と比叡山延暦寺の根本中堂の前にあったのだ。

  

説明文を読むと、父(浄土真宗の信徒)の薦めで宮沢賢治が比叡山を訪れ感動したとのこと。賢治は日蓮宗で有名だが、父の浄土真宗の開祖親鸞も賢治の日蓮宗開祖日蓮も比叡山で修業し、広大な境内の中に開祖の足跡が残されているのだ。昔の比叡山は文字通りの総合大学・ユニバーシティであったのだ。

 そんな、賢治の伝記的性格が強いといわれている「グスコーブドリの伝記」。私は妄想の「縄文小説」を書いているのだが(笑)、この童話とても参考になっている。冷害の描写(山や森)、自然との闘い(火山、てぐす、イネの病・・・)は凄かった。その外、家族とか遺伝とか個性を考える上でも実に参考になっている。

 圧巻はグスコーブドリが様々な苦労、紆余曲折の後に、火山局に入り、いい仕事をするようになった時の言葉だ。このあたりになると、童話の調子も軽やかで賢治の魂が輝いているようにさえ思える。

 「その年の農作物の収穫は、気候のせいもありましたが、十年の間にもなかったほど、よく出来ましたので、火山局にはあっちからもこっちからも感謝状や激励の手紙が届きました。ブドリははじめてほんとうに生きた甲斐があるように思いました。」

 その後、ブドリは父(母も)そうしたように、犠牲的な行動で死にいたるのだが、この火山局での仕事には個性の輝きを放ち、氏や育ちを克服しているようにも感じて感動をしてしまう。

 ちなみに、私は親から子への性格形成の影響の大きさ。あるいは、遺伝の大きさなどをジェイムズ・ヒルトンの「魂のコード」(河出書房新社)を味読しているが、この中の次のメッセージは正しいと思う。

 「人間は、氏と育ち、つまり遺伝子と環境(とりわけ両親)の相互作用によって組み立てられた精巧なプラモデルではない。」

*因みに、遺伝に関しては一卵性双生児の研究を通し、遺伝を越えた個性の意味を学ぶことができる。

 個性に基づいた生き甲斐を発見し輝く。これが、今回の旅の結論のようだ。

旅 10/10

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野に咲くすみれ花・・・個性の美を考える!(旅 9/10)

2015-04-21 | 第四章「愛とゆるし」

 先日の高幡不動尊では、菫をみつけることができた。しかし、微妙な色彩であり写真で上手く写すことは私の技量ではかなり難しい。表紙の写真は昨年のいまごろ撮ったものだ。こちらは高幡不動。

 山路来て何やらゆかしすみれ草

 調べてみると、この芭蕉の俳句は、京都から大津に抜ける逢坂山での歌だそうだ。今回の旅も琵琶湖とか比叡山とかで、逢坂山やすみれは無かったが味わいは似ているように感じた。そして、何となく芭蕉の歌は今の自分のこころに響く。

 誰の為に花を咲かしているのか判らないようにひっそりと咲くすみれ。といって実に美しいすみれ花。個性の美とは何か・・・とか、神秘的な人の命のありようをいろいろ考えてしまいたくなる歌である。

 科学技術で頭を随分洗脳され?た私であるが、61歳を過ぎ、エリクソンでいうと知恵、自我統合性、絶望感の年になった。その中で、つくづく個性の美とか、直感の不思議とか、魂とか・・・そういうものにとても惹かれてしまう。

 世の中は、風邪なら、花粉症なら、眠れないなら・・・と化学的に生物的に薬を飲んだりし、それに単純に反応する生命観が幅をきかせているようである。性格形成もかなり因果関係でみようとするし、まあ、合理的に考えることが普通である。しかし、こうした社会には、すみれ草の美が判るだろうか?

 今の私にとっては、すみれ草は大きな希望である。

旅 9/10

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