古代の遺跡に行くと、よく当時の家族のことを考える。妻問い婚という、今から考えると不思議な結婚の形態。そして、古代の政権中枢の家の問題から生じる権力闘争。平和な今の琵琶湖は美しいが、天智天皇が建てた琵琶湖湖畔の大津京は、皇太弟(大海人皇子)と皇太子(大友皇子)の血みどろの内戦の地だった。
今は、草花が美しい不退寺も、平城天皇の旧居でもあったが、その平城天皇も皇太弟である嵯峨天皇と権力闘争をし、犠牲者まで出た。完全に天智系になった嵯峨天皇の時代からは、大仏で有名な聖武天皇する、天武系ということで避けられるようになるらしい。
有史時代もそんな状態だが、先史時代の縄文10000年はどうだったのだろうか?何らかの形で、当然争いがあったのだろうと推察する。
さて、日本の家族は、欧米や中国などと比べるとかなり特異なものらしい。明治時代などは父系制社会的かなと思うのだが、いろいろな研究成果を知ると、平安時代以前は妻問い婚があったり、父系オジ、オバも母系オジ、オバも区別ない社会で、少なくても父系制家族社会ではなかった。
母系制とか、最近知ったが双系制だとかだ。天皇家も母系を調べると、藤原氏が大正天皇あたりまで母系の影響を与えている。これは凄いことだと思う。
家族の財布を父が握っているか、母が握っているかは、父系制、母系制を考える上で大事だそうだが、我が家はどうだろうか?何となく縄文時代からの母系制とか双系制の匂いがする(笑)
そんな社会が、個人の性格形成にどんな影響をもたらすのか?今日は楽しんで思索したい。
旅 7/10