イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

感情の光と影の仕組みを知って楽しむ!(幸福曲線を辿る ① 4/10)

2014-08-11 | 第七章「光と復活体」

毎年、この時期は我が家では大掃除をすることになっている。タイミング的にも、年の暮れの大掃除もあるが、盂蘭盆の大掃除もあってもいいかと・・・

大掃除なので、何を破棄するか誰が作業するかなど、一緒に暮らす家族とのちょっとしたバトルもあったり、作業も結構ハードであったりする。何もこの暑い時期に敢えて不安や怒りを増やすことをしなくてもと思ったりするが、大掃除が終わると(今年はまだだが)、平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感などが訪れ、ビールもうまいので、継続している。

ストレス曲線は理想と現実のギャップという理論からすれば。少なくとも大変な作業が終われば、理想は現実となり平安感など幸福曲線が訪れるのを実感できる。

さて、若いころ、仕事に追われる毎日を過ごしていたとき、どこか無人島にでも行ってのんびり暮らしたいと思ったものだ。しかし、生き甲斐の心理学を学ぶと少なくとも感情の世界では、光と影の関係があり、例えば統御感を楽しむには、影の部分の錯乱感が意外に必要であったりする事例を学ぶ。

光を楽しむためには影の部分も大切なようだ。

ちょっとした妄想かもしれないが、この世の延長線上に天国があるとすると、天国の幸福感は少なくとも影の部分があってなりたつのではと思う。天国で幸福感を味わうためには、ある意味ストレスフルな仕事?も必要かもしれない。実際、米国の著名な心理学者(心理療法家)のスコット・ペック氏も、あの世についての小説「死後の世界へ」の中で、天国の住人も描いているが、皆何らかの委員会?で苦労して仕事をしているようなのだ。

因みに、このブログで語ってきたストレス曲線(五種類)の影の部分は、幸福曲線(五種類)の光とペアとなる。現代の感情の様々なモデルでも、感情をペアで捉える事例が多く、脳科学的にも感情の光と影があるのかもしれない。

 不安感   --- 平安感

 怒り     --- 友好的感情

 身体症状 --- 健康感

 ウツ     --- 幸福感

 錯乱    --- 統御感

 世の中、結構ストレス曲線に出会う。ただ、最近の私はそのストレス曲線の対極の幸福曲線を想いうかべ、幸福曲線を得るための一つのチャレンジかなと思うことにしている。そうすると、嫌なストレス曲線にも希望が湧く。

幸福曲線を辿る 4/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o


突然おとずれる法悦感!(幸福曲線を辿る ① 3/10)

2014-08-10 | 第七章「光と復活体」

 縄文のビーナス(国宝)をまじかに観て、いろいろなことを思った。恐らく竪穴式建物の中で、ランプのともしびの中で崇められる縄文のビーナス。雲母が表面にちりばめられているので、炎の揺らめき(微風?)で微妙に表情を変えたかもしれない。そして、祈る人がいる。

 断片的にしか判らない、背後にある縄文の宗教。その中で、仏教用語かもしれないが法悦感を感じる人もいただろう。法悦という言葉は余り聞きなれないがネットで調べると。Weblibに次のような記述があった。

仏法を聞いたり信仰したりすることにより心に喜び感ずること。法喜。
うっとりするような深い喜び陶酔。 「 -にひたる」
 
 単なる身体的な現象ではなく、精神的なアイデンティティに関わることが含まれているというのが私の印象でもある。そして、この法悦という現象は、小説をはじめ様々な芸術の対象にもなっているようだ。キリスト教文化の中でも例えば聖テレジアの法悦がある。
 
 法悦という現象がある。そして、それが決定的に人生を変えることもある。そんなことを知識として識ることは大事だと思う。
 
 U先生の「生き甲斐の心理学」の幸福曲線の中では、法悦は統御感の一種なのかなと思う。そして、次のようなコメントがテキストの中に書かれている。「反対概念はストレス曲線の<錯乱>です。<統御感>だけは、人の真似をしていると生まれません。あくまで自分の生き方を自分で悟る人のみに与えられる恩寵です」。素晴らしい解説だと思う。
 
 台風接近の中で、今日はしっとりと法悦の意味。さらに自分の生き方を考えたい。
 
 

幸福曲線を辿る 3/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o


幸福について思索する!(幸福曲線を辿る 2/10 )

2014-08-09 | 第七章「光と復活体」

 先日行った霧ヶ峰周辺散策。縄文時代にさらに興味をもってしまい、あれこれと仔細を調べるとハッすることがあった。家の近くの東京都のNo.72縄文遺跡や今回訪問した尖石遺跡などは縄文中期の遺跡だが、このころはある研究によると、日本の人口が26万人くらいで、縄文時代の最盛期だったそうだ。そして気候変動で寒冷化し厳しくなった後期・晩期の時代には8万人程度まで人口は減ってしまう。数千年をかけた典型的な右肩下がり社会だったようだ。

 そんな中右肩下がり時代に、私たちの祖先である縄文人は、どのように生き抜いてきたのだろう。当然ながら、それなりのアイデンティティや哲学がなければ、多分ストレスに耐えきれず生き抜くことはできなかったのだろう。

 最近の様々な研究は強烈で、日本書紀や古事記の神話、縄文土器の図像、遺伝子研究での地域分析などから、当時の思想もかなりわかってきたいるようなのだ。私も時間があれば縄文文化の深層を、これから日本が迎える時代などを考え、温故知新している。

 今は、昔と違いDNAの研究もあり、結構いろいろなことが判ってきている。私の幼いー若いころの縄文のイメージは何か漫画的な原始人といったイメージだったが全然違う。脳科学の成果もあり当時の人間と今の人間の例えば脳の差は殆ど無かったと聴いたこともある。ちょうど、人類が旧石器時代に細石刃(サイセキジン)技法を黒曜石から発明し、大発展したのに似て、新しい局面になっているようだ(たとえが縄文的で申し訳ございません、もう縄文人のマインドになってきているかも)。

 私は7歳の時に両親とアラスカで約1年暮らしたことがあるが、その時に一人でじっくり見た神秘的なトーテムポールの経験が忘れられない。今から考えれば、トリンギット族やハイダ族のトーテムポールは信州の旧石器・縄文の文化をどこか引き継いだ御柱に繋がるようでもある。

 当時の思想は死と再生がテーマだったようだ(蛇とかカエルとか・・・)。しかし、それは、現代でも形は変わるが大切なテーマなのだ。

 私も、2-3年福祉や介護の世界で修業をしたが、死をまじかに控えた人の問いかけに、無神論的なことは言えなかったし、通常そんなことを言う人は皆無に近い。そして、恐らく私個人にとっても死と再生のテーマは最重要問題なのだと思う。

 さて、もう一度「幸福」に戻ろう。右肩さがりは経済だけでもない。自分自身を考えても老化ということがある。身体は有限で、例えば脳は年をとってからも結晶性知能は結構維持されると言われていても限界がある。様々な今までできたことを天にお返しするのが老年期というのは、悲しいが事実なのだろう。そんな中でも、「幸福」はあるのだろうか。

 達成目標をベースにした、理知的な幸福の条件を求めるのはかなり厳しい。達成目標がせいぜい現状維持・・・というなかで幸福の条件ばかりを追っかけるのは息がつまる。

 そんな中、もう15年に近くなったが、臨床心理学をベースにしたU先生の「生き甲斐の心理学」は幸福感という別の価値基準を提示してくれた。一日一日の中で、不思議な自分のうちの理想と現実のバランスの中に、ふと幸福感が訪れる。それを大切にすると考え方だ。

 肌で感じる、涼しい風に秋を感じたり、まれにしか見られない野草に感動したり・・・まあ、サムシング・グレートに感謝する瞬間が心がけ次第で訪れることは確かだ。

幸福曲線を辿る 2/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 

 


幸福曲線の感情を辿る!(幸福曲線を辿る ① 1/10)

2014-08-08 | 第七章「光と復活体」

 感情の世界で、明るい感情はまれだという。時には天からのプレゼントかとも思うこともあるくらい得難いときもある。

 さて、幸福ということを考えると、自分は随分幸福の条件にこだわってきたのだと思う。しかし、それは今から考えると大事なことではあるが、片手落ちだったかなと思う。今では、幸福感に代表される明るい感情、幸福曲線への小道を辿るほうがよっぽど良いように思ってきた。

 幸福曲線は、ストレス曲線の対極で5つの種類である。平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感。生き甲斐の心理学を学ぶようになってから、この5つの感情の意味が少しづつ判るようになってきた。

 これから、しばらく夏休みの宿題ではないが、どんな状況にあっても幸福曲線を辿る方法を思索してみたい。

幸福曲線を辿る 1/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o


八島湿原で野生の感覚を深める!(ストレス曲線をバネに ③ 10/10)

2014-08-07 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 3日前の8月4日。霧ヶ峰の近くの八島湿原に行った。小学生の団体やら、中高年のトレッキングの方、野草観察の方々に混じり、美しい自然を楽しませていただいた。

 最近は知人・友人に野草観察の手ほどきを何回か受けるチャンスがあり、野草の名前や分類に興味を持つようになった。それが、野草観察に深みを増すようで、今回は以前に増して八島湿原を楽しめた。知人・友人に感謝である。

 しかし、今回は台風の影響もあり天候が変わりやすく、時折雷鳴まで聞こえた。そして、野草の種類も楽しいが、それ以上に感情の曼荼羅というか、湧き起こる原初的な感情が楽しめた。雷鳴も避雷針だらけの都心と違いストレートな怖さを湧き起こす。視覚だけでなく、聴覚、触覚、など五感で楽しむ八島湿原。そして、怖い、怖くない、好き、嫌い・・・という4つの原初感情を意識したり、身体、心、魂から来る感情を意識しての自分の感情観察も楽しい。

 次に湿原での一コマをYouTubeにアップしました。如何でしょうか?肌に触れる風などはお届けできませんが、何か感情が湧き起こりませんか?

 ①鳥のさえずりも聴こえ気持ちの良いシーンです。

  http://youtu.be/A3JeBABdLo4 

 ②雲行きが怪しくなり不安感が増すシーンです。

 http://youtu.be/w3aPB4urdcI 


 野草も楽しみました。クリックすると拡大します。このうち名前を知っているお花はいくつ?

            

     

  

野草の分類や名前を知ることで野草観察の楽しみが増えるのに似て、感情の分類(5つのストレス曲線、エリクソンの8つのネガティブな感情、4つの原初感情、3つの人間観からの感情分類)も感情の世界の神秘を垣間見させてくれるようです。ただ、野草と違って残念なのは、感情は自分の感情しか判らないということ。他者の感情は現象額的には基本的に未知の領域なのです。

従って、U先生から何回も言われたとおり、他者分析は極めて難しい。まずはしっかり自己分析(自分の感情の研究など)をして、自分を識ることなのでしょう。

今回の旅は、星糞峠の遠足?も有意義でしたが、この八島湿原も大きな収穫でした。自然に触れ野生の感覚を深めたようです。

ストレス曲線をバネに③ 10/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o