イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

探すと、見つかる!(幸福曲線を辿る ① 8/10)

2014-08-15 | 第七章「光と復活体」

 ことしのお盆の大掃除も昨日ほぼ終了した。縄文遺跡の発掘ではないが、大掃除をしていると昔の懐かしい思い出の品や、いつの間にかどこかに消えていたものが出てきたりしたり。

 さて、今日は幸福曲線を辿る上でも大切な、希望というか意思というか・・・考えている。

 よくU先生の言われる、「人間は思ったとおりの人間になる。」。原典は古いヒンズー教からだそうだ。また、新約聖書のマタイ伝の7章も、実に深く、求めれば受け、探せば見つかる、門を叩けば開かれる・・・そんな深い話がでてくる。最近年のせいか(若いころから変わらないとの説もあるが)、メガネを探したり、鍵を探したりすることが多くなったようだ。それゆえ、探す、見つかる。のたとえが自分にピンとくる(笑)。

 小学生のころとか、20歳前後のころとか、当時探していたものは意外にも現実化しているっことが多い。勿論、30年越しとかで現実化してきたこともある。信仰の問題もそうだし、人間関係などもそうかもしれない、あるいは心理学の学びも。勿論、現実化しないこともあるが(建築家になるとか、金持ちになるとか)、今から考えると、自分の心が意識の世界だけでなく、無意識の世界もあり、本気で探したのかなと思ったり。あるいは、神の世界、愛の世界という与える側の事情を想うと。現実化しなくてかえってよかったと思うことも多い(やせ我慢か?)。そして、私は、「探すと、見つかる!」は深い意味で正しいように思うようになった。

 では、今私は何を探しているのだろうか?いろいろあるのだが、最近訪問した諏訪や霧ヶ峰に絡めて縄文文化探索もある。縄文の祖先が元気になった死と復活の思想は何だったのか。今の世の中でも、厳しい現実があり、元気に生き抜くことは結構大変だ。しかし、縄文時代も今以上だったろう。その中で元気に生き抜く思想は何だったのか?多分、そのエッセンスは今の時代にもどこか流れていて、今日の「花子とアン」の中での、歩君の再生があるようにも。

 

幸福曲線を辿る 8/10

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