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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

黒潮のように血が騒ぐ!(幸福曲線を辿る ② 3/10)

2014-08-20 | 第七章「光と復活体」

 考えてみれば、今年は8月に海に一度も行かないで終わりそうである。生まれてから今まで、そんな年は殆どなかった。そのためか、昨日八王子の中央図書館に何年かぶりに行ったが、海とか黒潮に飢えているのか、そういうものに眼を奪われがちなのだ。まあ、今は縄文や弥生などに(すこし時代が近くなって快方の方向か?)心を奪われているので、3万年前くらいの歴史をもつ伊豆諸島の神津島の黒曜石関係の本「黒氏をを渡った黒曜石」(池谷信之著)を読み、「失われた日本」(古田武彦著)も読み始め、5,6千年前の縄文文化の凄さを妄想している。

 しかし、神津島の黒曜石に見せられて、財産をなげうって高額の蛍光X線分析装置を私費で購入した研究者の凄さには驚いてしまった。世の中の多くの人は、何となく常識の中に生きているが、悔いのない人生を歩む人は、ある意味世の常識を超えた世界を歩む。私も、11年前に会社を辞めてから、「生き甲斐の心理学」を中心にした毎日を歩んでいるが、これも、プチ・悔いのない人生かもしれない。そして、少しヘンな私の周りには、やはり悔いのない生き方を目指す方々が集まってこられるようにも思う。ありがたいことでもある。

 さて、黒潮に関わる今朝の妄想を一つ。私は、7歳の時に南西アラスカの島、シトカに家族で約1年暮らした経験がある。アラスカの先住民族はハイダ族とかクリンギット族を言われる人々で、黄色人種だ。ある夜、いくらを売りにきた女の子がいた。父は、広島の瀬戸内海生まれだが、こんな日本人が好きなものを食すのは黒潮に乗ってきた日本人もいたのではと言っていたのを、思い出す。

 DNAの研究などで、12,000年前の旧石器時代の海進期にベーリング海から陸路を渡ってアメリカ大陸にシベリアから到来したという説が叫ばれているが、この黒潮による海からの到来説も地味ではあるがたしかではないかと思う。

 黒曜石は、神津島から伊豆半島までの60Kmの海を渡り、その恩恵は近隣だけでなく、広く関東にも及んだようだ。当時の船舶技術はカヤックのようなものに過ぎないと思われるが、海上運輸は陸路よりも効率的だったかもしれない。なお、黒潮は日本、アラスカから、アメリカ大陸の西岸をなで、南米まで至るという。縄文土器がエクアドルに持ち込まれバルディビア遺跡に繋がるという研究者もいる。まあ、縄文土器は当時としては最先端技術で、これが中国なども含輸出されたことは間違いないと思うが。

 もう一つ、神津島の黒曜石は、黒潮の分流に乗って、東伊豆の今井浜の近くに到着して陸揚げされたようだ。その陸揚げ・加工基地の遺跡が「見高段間(みたかだんま)遺跡」だそうである。蛇足ながら、この遺跡の近くの今井浜は私が小学生のころ、海水浴で溺れかけた思い出の地で、今は亡き父によって奇跡的に助けられた。この7月には和田峠産の黒曜石の一角をなす星糞峠を訪問したこともあり、この地にも行かねばならない気がしている。

 因みに、妄想?を現実化するのは、幸福曲線を辿る定石かもしれない。3Vの法則が生き甲斐の心理学ではよく引き合いに出される。自分の夢を想いうかべること。それを具体的に言語化すること。そして、実行すること。次の三つのVである。

Visualize, Verbalize, Vitalize 

幸福曲線を辿って ② 3/10

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