イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不得意分野を活かしていく方法<その2>(新鮮 6/10)

2011-06-26 | 第一章「意識と知覚」

 受験をひかえて不得意科目に向き合う。こうしたときは、まさに臨床心理学で大切にされている、プロセススケールは恐らく低か中であり、高ではないだろう。7つのポイントがプロセススケールにはあるが、昨日の<体験の解釈>に続いて、今日は<不一致>について考えてみる。プロセススケールの知識にはU先生の的確なご説明があるので、初めての方はここをクリックしてご参照ください。

 さて、自分のことで恐縮であるが、中学3年の冬。まじかに受験をひかえた冬の寒い日。中学校で模擬試験が行われた。確か3科目(数学、英語、国語)であった。そして、国語の試験のとき、風邪を引いていて体調も悪かったこともあるが、或問題にひっかかり(もう忘れてしまったが)、試験途中で錯乱してしまった。

 当然ながら、国語はひどい成績なため、全体の結果も最悪であった。

 担任の恩師は、とてもいい先生で進路を決める時に、自分の希望をきちっと聴いて、親に説得してくれたりもし、親しみを持っていた。その先生が、≪おい、どうした?≫と心配そうに訊いてくれた。プレッシャを感じたが、ちょっと考えて・・・≪風邪をひいていて、風邪薬のせいか・・・≫そんなことを言ったように思う。

 答えながら、何となく自分の本音と食い違うような・・・生き甲斐の心理学では、不一致(本音と話ている言葉の)というが、それを感じた。薬のせいだけでなく、自分の能力というか、そういうものに対する不安が一番大きかった。

 不得意科目の試験で失敗し、担任から問われる。こうした状況で、プロセススケールが低いのは当然であるが、優しい(信頼している)先生との会話だったので、恐らく、心の健全さを少しは回復していたのだろう。不一致を感じたこと自体が、健全性の一歩だった。

 先生は、そんな自分をどこまで見抜いたのか不明であるが、私の言葉を100%信じてくれ、風邪薬は大事な時は、飲んではいけないね、と優しく忠告してくれた。そんなことで、プロセススケールは健全化するものである。

 ちなみに、不一致でプレセススケールが低い状態のときは、不一致自体を意識することができない。逆に高の状態は、一時的に不一致を感じるが、流れの中で一致を経験し消える。

 この不一致の知識をきちっと把握していれば、プロセススケールの低い人の揚げ足をとって錯乱に追い込んだりする愚を知るようになる。

 また、言行不一致とか目先の倫理道徳に縛られて、変な罪悪感に陥ったりしないで、自分のこころの有り様を客観的に前向きにとらえることができる。

(新鮮 6/10)

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不得意分野を活かしていく方法<その1>(新鮮 5/10)

2011-06-25 | 第一章「意識と知覚」

 ストレスで病気になることもあるが、ストレスから思わぬ恩寵といってよいか、素晴らしいプレゼントをもらうこともある。新鮮に毎日を暮らす時には、こうしたストレスの効用(臨床心理的な知識)も知っていると人生がとても豊かになる。

 ストレスの効用。

 思い出すと沢山ある。特に生き甲斐の心理学を学んでからは、日常的にも。嫌いな人が好きになる。嫌な仕事が苦にならなくなる。不得意科目を克服して、試験に合格する。人生の節目で最適な判断をする。果ては神仏との出会いといったものも、そうかもしれない。・・・

 ストレスを大切なシグナルとして、その意味を柔軟に思索することも勿論大事であるが、生き甲斐の心理学で学ぶ臨床心理の知識、プロセス・スケールの知識と組み合わせるとますます活用できる。

 これから、何回か、ストレス+プロセススケールのお話をしてみたい。読者の皆様はできれば自分の事例で考えていただくき、知識を身につけていただければと思う(単なる他人の話として聞くより、数十倍の効果がある)。

 さて、≪不得意分野を活かす≫・・・私の典型的な事例を語ってみよう。

 わたしの父は理工系で建築の仕事をしていた。そして、幼い頃から私の家の隣に住む祖父も、理工系で建築の仕事をしていた。そんなことで、自分も理工系だと、いつのまにか思うようになった(これを自己概念という)。それは、良いこともあるが、悪いこともある。私の場合は、文科系の科目、特に国語が嫌いになってしまった。

 中学2年のときは、国語の時間に書道もあり、何とクラスでもひどい成績(最下位のほう)をとった。そして、中学3年になった。ところで、当時教育改革が盛んに論議され、公立の高校受験の科目が9科目から3科目になった。当然国語はその中に含まれ、自分にとっては1/9の重荷は1/3に変わり、気が重くなったものだ。

 不得意の国語。その不安の意識化が、3年生になってしばらくして出来てきた。今思うと、不得意の意識化だけでとても価値がある。もう、半分くらい問題は解けたかのようである。

 通常は、この意識化がなかなかできない。自己概念が邪魔したり、問題を置き換えたり、人のせいにしたり、いろいろである(フロイトの14の防衛機制)。その為、何も変わらないことになるのだ。

 ちょうど、夏休みになったころであった。一冊の国語の問題集を買ってきて、毎日少しずつ、のんびりであるが、やり始めた。当時、国語が何故嫌いかというと、ある文章の解釈を、A,B,C,Dの中から選べというようなものが多く。考えると、皆正しいように思われパニックになってしまうのであった。自分には所詮国語の能力がないのでは?

 しかし、問題集をやっていくうちに、問題を回答していくコツが判ってきて、国語に対する自分の体験の解釈が、コチコチの状態から自分の経験過程を感じつつ柔らかくなってくる(今、振り返って考えると、大学受験も含めて、ほとんどの試験は数学・国語なんでも暗記というかパターン認識的なものがほとんどであり、個人の能力もあるが、心理的な要素もとても大きかったように思われる)

 国語はダメ!から、なんとかできるのでは・・・へ体験の解釈が変わる。

 今は試験勉強など全く関係ない世界にいるが、 不得意分野を活かしていく方法はとても大事になっているように思う。例えば、原発の問題にたいすること。日々の人間関係・・・ちょっとしたところに、同じようなことが沢山あるように思う。

 新鮮 5/10

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非言語教育のすすめ!(新鮮 4/10)

2011-06-24 | 第一章「意識と知覚」

 今から53年前、まだ日本語も覚束無い私は、両親につれられて米国アラスカのシトカで一年暮らした。その一年は、私の性格形成に大きな影響を与えたと思うが、よく考えると、言葉が通じない貴重な経験をしたことが大きい。

 今は、日本も教育のおかげで、方言はあっても標準語で皆難なくコミュニケーションができる(標準語は明治になってから全国話言葉ができて進んだので意外最近である)。また、外国語取得の教育も進んで、若い人の言語能力も凄いものを感じる。

 さて、最近生命の歴史にも興味があり、40億年の生命の歴史をにしたりして妄想している。因みにこの表は、億年とかが出てきて実感が無くなるので、40億年を一年として当てはめ実感できるようにした(Excelの時間関数を駆使して作った)。

 最近は言語遺伝子などの発見で、これから先、現世人類がいつごろ言語を獲得したかを分子進化学からも追求されると思うが、素人判断で人がチンパンジーと別れた500万年前を言語の獲得と乱暴にも仮定すると、その時期は生命の誕生を1月1日0時から考えると、12月31日12時59分24秒となる。

 まさに、最近の出来事なのである。

 先日も動物園で、チンパンジー舎で職員さんの説明を受けつつ、楽しんだが、チンパンジーの挨拶や仕草を観察していると、幼い頃の言葉の通じない世界を思い出す。

 意外に動物園生命体にとって大事なことを学べる場所なのだ。

 

新鮮 4/10 

 

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天職は何だろうか?(新鮮 3/10)

2011-06-23 | 第一章「意識と知覚」

 昨晩は、テレビで宮大工の棟梁が弟子が、どう仕事に就き、仕事を覚え成長していくかということを語っていた。

 その影響か、朝起きてから、自分の仕事選びの歴史をいろいろ思い浮かべた。考えてみれば、今までの人生は天職を求める旅のような気もする。この場合天職とは単なる食べるための仕事以上のものを意味している。

 自分の長い歴史の中で核となる、渇望と傾向に沿って天職も追求されているようでもある(ロジャースの第4の命題に似て)。

 20歳台のアイデンティティが確立していく(はず?)の時期に、自分はマーケティングの仕事をしたいと考えた。営業の仕事をしてから(キャリアパスを作ったつもり)、そして計画どおりマーケティングの仕事についた。30歳台のころである。しかし、仕事に着くと、見えなかったものが見えてくる。

 今から考えると、当時の仕事は、きちっと目標にしたがってきちっと抜けのない計画を作り、実行していくようであった。そんな中で、良い仕事をした時期もあれば、うまく行かない時も沢山あった。うまく行かない時のことを考えると、その原因は、今考えると基本的な能力や成育史に原因があったようだ。そんなことは、他人は判らない。

 50歳台になり、会社をやめて、福祉や生涯教育の方向を目指し、仕事を探した時期があった。そのとき、職業選びのためのコンピュータによる診断を受けてみたことがあった。

 最もむいていない仕事の中に、やりたい(やるべき)仕事があった。自分の傾向と渇望を、どう判断するかは、自分でもなかなか難しいが、こうした客観的と言われている診断や検査もあまり参考にならないこともある。

 仕事は、現在進行形でやっていくうちに、知覚が変わり、仕事の価値感も変わっていくものだからである(教育の本質にも似ているし、人生全体にも似ている)。

 では、今、やっている仕事は天職なのであろうか?意外と難しい問題である。2-3年くらい経つとほとぼりも冷めて客観的な眼も働くが、≪今ここ≫はそれこそ、現在進行形で知覚も毎日変わるものだからである。

 昔からよく言われているが、「石の上にも三年は」この辺のこと言っているのだろう。ただ、三年しないでも辞めなければならないこともあるので注意は必要だ。

 そんな中、天職とは何か?(何のために生きているのか?生き甲斐は何か?自分を大切にしているか?の自己実現のタメの3つの質問に似てもいる)という自問自答は、時折してみる価値があるようだ。自分の渇望と傾向を刺激し、元気になることも多い。正中線の意識は大事である。

 新鮮 3/10 

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アフター3.11、知覚が変わりませんか?!(新鮮 2/10)

2011-06-22 | 第一章「意識と知覚」

 私にとって、この3箇月ちょっとのアフター 3.11は知覚(五感・体感を基礎としての知的解釈?)の変化をもたらした、人生にとって大きな意味のある時期だったように思う。

 昨日は、四谷の勉強会に参加したあとで、夜駅の近くの本屋さんに立ち寄り、「大津波と原発 内田樹X中沢新一X平川克己」(朝日新聞出版)を衝動買いしてしまった。

 平川克己さんは初めて知ったが、3名とも1950年生まれの方である。いつもながら、1951年生まれの私たちと一年の差だけなのだが、微妙であるが何か違いを意識してしまう。何だろう?それはとにかく、この本のはじめのほうに、「日本の近代史がボキッと折れた」という中沢新一氏の表現があって、こころに残った。

 ちょうど、昨日は直木孝次郎氏の「持統天皇」を読了し、飛鳥での日本の原型にこころを寄せていたので響いたのだと思う。

 妄想かもしれないが、持統天皇が、今回の福島原発事故の顛末を知ったらどう行動したのだろうか?そんなことを考えてしまう。壬申の乱の思い出の深い吉野への、何回もの行幸。東国の神社への配慮・・・政治権力と宗教(日本の宗教)が、今より密接に結びついていた。そんな持統天皇が、不可解なテクノロジー、危険な原発という、生態系の常識を超えたものに出会ったら、どう行動しただろうか。

  先のように、近代史はボキッおれたとしても、古代からの日本のコアは折れなかったのだろう。天皇・皇后が被災地におとづれた時に、涙した人は多かった。

 では、3.11でボキッとおれたもの。それをさかいに知覚が変わり、見えてきたものは何か。

 通常の議論は、どのように思考が変わったとか、どのように思考を練り直していくかに焦点が向かう。しかし、「生き甲斐の心理学」(現代の臨床心理の知識をベースにした)を学ぶ私にとっては、思考も興味があるものの、それ以上に、知覚がどう変わったかに興味がある。

 K大臣やマスコミの原発に対する、昔とあまり変わらない言説を、どう自分が知覚し、それがどう変わったか・・・

 CO2削減や地球温暖化の議論の報道を見てどう感じるのか。

 はっきりいって、こころにうつものがだんだん失くなっていくことを強く感じる。私だけの知覚の変化だけなのだろうか?それとも、多くの日本人の知覚の変化なのだろうか?そして、こうした知覚の変化は新しい時代にどう関与するのか?

新鮮 2/10

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