イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≪好き≫の感情に水やりを!(五感・体感を考える 10/10)

2010-09-25 | 第二章「五感と体感」
 U先生のブログ、2010/5/26に≪<好き嫌い>の感情の意味≫に、とても大切なことが載っていた。≪・・・好きな感情を何よりも大事にしていると、悔いのない人生の方向が見えてくる。≫という一節である。

 考えてみれば、既に大学生のころには、≪好き≫なことはほぼ出揃っていたようだ。心理学、芸術(特に美術)、数学、歴史(特に日本の古代)、文学、教育・・・。しかし、サラリーマンになり、やがて40代くらいになると、忙しさの中で好きなコトへの関心か疎かになってくる。ミドルエイジクライシスなのだろうか?その後、私の場合は幸運なことに、好きなコトを再度大切にしだした。生き甲斐の心理学に出会ったのもその延長にある。

 日常の仕事に追われると、好きなことに時間を使うことは意外と難しいものだ。しかし、糸川英夫さんによれば(「一日一発想366日」講談社α文庫)、2%くらいの時間(計算すると20分程度)を毎日、その為につかっていると、ちりも積もって山となるように変わってくるらしい。確かに、そういうものだと思う。

 そして、好きなことをすることで、何か自分の人生の方向が見えてくるようであり、五感・体感も豊かになってくるように感じる。天国が近づいてくるのであろうか?

五感・体感を考える 10/10

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≪好き≫、≪嫌い≫という感情の神秘!(五感・体感を考える 9/10)

2010-09-24 | 第二章「五感と体感」
 昨日、≪認知症の方と一緒に・・・≫で人間が心(成育史)と身体と魂(臨終と共に離脱していく生命体で、愛そのもの)と考える重要さを述べた。ただ、自分のことを考えると、そうはいっても感情として、≪好き≫、≪嫌い≫があり。時には、もうあの人は苦手ということで投げ出したくなることもある。そうした場合は、いくら理性的に愛そのもの・・・と考えても、≪好き≫という感情を簡単に持てない。

 苦手な人は、始めからずっと苦手であったりすることもあるが、ある時を境に苦手になってしまうこともある。「覆水盆に返らず」という言葉があるが、場合によっては後悔をともなったりする。そして、普通は苦手な人から遠ざかるものだ。

 しかし、例えば仕事上どうしても付き合わざるを得ないケースもある。好きになるために(そこまで行かなくても、苦手でなくなるために)、いろいろ努力する。その人の良いところを必死に思い出したり、様々な方法で努力する。しかし、人の心には意識の世界だけではなく、無意識の世界もあり、簡単ではない。自分の努力は限界に達し、神に祈るだけという心境に。

 そんな中、突然、ひょっとしたことで知覚が変わり≪嫌い≫が≪好き≫に変わることがある。きっかけは何となく判るものの、それがどう無意識の世界に響いたか論理的には良く判らなかったりする。ただ、相手の中に、愛そのものの魂の存在を信じ、努力を続けなければ起こらなかったろう。恵みといってよいかもしれない。

 ≪好き≫、その反対の≪嫌い≫という感情。それは、自分のこころ(生育史)と身体というフィルターをとおして、愛そのものの魂が投影されているのだと考えると、成育史の外に身体の状態もあるかもしれない。

 感情の世界は不思議そのものである。

五感・体感を考える 9/10

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認知症患者の方と一緒に、こころと身体と魂の妙・・・(五感・体感を考える 8/10)

2010-09-23 | 第二章「五感と体感」
生き甲斐の心理学を学んで、はっとしたことの一つは、人はこころ(成育史)と身体と魂(愛そのもので、人が死んだ時に身体から離れる生命体)から成り立つという見方であった。

 単純な考えではあるが、徹底してこの見方をとると(信じると言ったほうがよいかもしれない)、人との接し方でとても役にたつ。

 昨日、NHKテレビで認知症の特集を見たが、私は介護の仕事で認知症患者の方と毎日のようにご一緒したことがある。その時、どんな人でも愛そのものの魂があると信じると、そのストレスが全然違うようになることに気づいた。勿論、カールロジャスの6条件など心理学の知識も認知症の方との接し方で役立つが、修羅場を潜り抜けるには、愛そのものの魂をもっていると信じることは非常に大きい。介護の勉強では人間の尊厳と教えられるが、それではピント来ない。この愛の感覚(思考が変わると知覚が変わり、五感・体感も変わってくる)は、恐らく様々なテクニックに勝ると思う。

 話は変わるが、写真は、この酷暑の夏、近くの涼しい林の中で撮った写真である。緑が本当に美しい。

 さて、この緑色は植物の葉のオーソドックスな色であるが、植物の葉緑素による光合成作用の中で、使われない波長だそうである。植物が元気で光合成が盛んであれば緑色に見えるが、その働きが弱まると赤などの他の色に変わる。葉の色は本来ないが、光の吸収とその波長により色が認識される。

 植物の葉と同様に、人の外見は何となく判るように思えるが、こころと身体と魂で多角的に考えると、もっと深い智恵が得られるように思う。本質をどう見るかは、人生を変えるくらいのインパクトがある。

五感・体感を考える 8/10

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良心の育ち方!(五感・体感を考える 7/10)

2010-09-22 | 第二章「五感と体感」
生き甲斐の心理学で、性格形成として、エリクソンとロジャースが大切にされている。エリクソンは日本では発達心理学として有名であり、ロジャースはカウンセリング等で有名である。

 さて、自分の生育史を辿っていくと、エリクソンでいう5-7歳の目的志向性(自立心とか罪悪感がテーマ)の時期にアラスカで異文化に一年ほど、遭遇した経験がある。それはどういう意味があったのかとつらつら考えた。確かにこの一年は衝撃的であった。シャイな7歳の子供が、公民権運動前の人種のるつぼの文明に入り込む。意外と乱暴であるが、さばさばして個性を愛する文明でもある。また、厳しい環境もあり人情も深い。そこで、人の愛の深さを経験したり、反対に差別とか理不尽さも経験する。一年程度の経験であったが、今考えると良心(将来の自分のイメージ)に独特の育ち方があったのではと思う。

 例えば、高校生くらいまで、有名な進学コースを辿った(恐らくマスコミが産んだ表面的なものだろうが)。思春期になると、そんな自分に何か嫌らしいこころの動き(傲慢さだろうか)を感じ、悩んだ時期があった。自分のもつ傲慢さ、そして裏腹の自分への嫌悪感。それは、何かアラスカの体験に繋がっているかもしれない(勿論その外の影響も沢山あるが)。

 それが、大人になると外資系企業に就職したり、サラリーマンを辞めて、教育や福祉の世界に入ったりする遠因になっているかもしれない。三つ子の魂百までというが、人生の課題は意外な経験から生まれる。

 そして、それが知覚や五感・体感にも深く係わるのではないだろうか。私の何処かにアラスカ魂のようなものがあるのかもしれない。

五感・体感を考える 7/10

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国際生物多様性年と視覚!(五感・体感を考える 6/10)

2010-09-21 | 第二章「五感と体感」
最近、国際生物多様性年という言葉を良く聞く。

 昨日訪れた多摩動物園でも、国際生物多様性年という言葉を時どき見かけた。そして、昨晩、家でBSハイビジョンを観ていたら、絶滅危惧種のケープペンギンなどについて報道していた。楽しいペンギンの話でもあるが、いろいろ考えさせられた。

 国際多様性年とは何かとか調べてみたが、そもそも生物の多様性とはと考え、以前に購入した本などをパラパラめくってみた。

 その中で、「眼の誕生」(アンドリュー・パーカー 草思社)という本があった。生命40億年の歴史で、約5億年前のカンブリア紀に生命のビックバンといわれるような時期があり、例えば動物門で3つしかなかったのが一挙に30以上になった。その理由はまだ良く判っていないが、何らかの環境の変化で、視覚が信じられないほど急激に発達し、瞼を閉じている状態(光の有無の認知)から、開けた状態くらいに進化したそうである。その視覚の発達が、生物の多様性を劇的に促進したのは、どうも間違いないようである。

 視覚の発達は、獲物の獲得と敵からの防御という二つの面に大きな影響をもたらし、それが多様性に向かうという。生物の本来持つ攻撃性と防御性を先鋭化したのだろうか。

 その不思議な視覚をもつ人間。愛すべき地球のためにも、自己肯定・他者肯定の多様性を認める存在であることが問われているのだと思う。

五感・体感を考える 6/10

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