実は、昨日の今まで読まなかった本とは流行作家の本であり、最近小説をどう書くかでいろいろ考えていたこともあり買って読み始めたのだった。
そして、昨日は仕事の合間に週末の勉強会を思索するために、縄文小説を何故書き始めるようになってきたか、自分の年譜を作った。
これは、なかなか面白く、幼いころ庭で小さなシャベルで穴を掘ったりする興味から始まり、南東アラスカの体験、カトリックの信仰を日本でもつことのアイデンティティを模索したこと、生き甲斐の心理学や古代ルーツ探索への好奇心、そして、縄文時代の遺跡に実際に行ってみたときの体感の数々、今年になってからの編集者や協力者との出会いなどに連なってくる。
年譜にすると、小さなビジョン、言語化、行動化の積み重ねから、自分の環境や他者の影響を受けつつ(感謝・感謝である)、想像以上に大きなうねりになっていた。
なお、自分はまともか否か、現実吟味力を失ってないか、何故失わなくて済んだのか・・・などの自問自答も生き甲斐の心理学の学徒なのでしてみた。生き甲斐の心理学では空想の世界も健全と病理の場合があることを教えてくれる。
その自問自答は勉強会でのお楽しみだが(勉強会は相互的であり、自分の殻を越えた果実も得られるかもしれない)、今朝浮かんだのは、五感・体感を忘れず、大切にしてきたことかなと思う。土のにおいがする野菜を育てるに似たところがあるかも。
行動化 2/10
マポさんは、著者の分身でもあるのかな、とも想像しました。
ところどころ、史料に基づく当時の生活についても紹介されているので、初心者でも関心が持てます。
大陸の遠方に及ぶ異文化との交流については、かなり大胆な仮説がみられますが、案外、実際に迫るところがあるのかもしれませんね。
縄文小説、今度はまた、別の趣向で、著わしてほしいです。
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