昨日は、久しぶりに都心に行ってきた。そして、招待券を知人に頂いたこともあり、上野の日本国宝展に夕方行った。縄文の中空土偶や九州の金印が来る11月後半を予定していたが待ちきれなかったのだ(寒いのですいているかなという臆測もあり)。
そして、閉館の前のもう殆ど人のいない会場で縄文の女神(尖石縄文考古館)と合掌土偶(八戸市埋蔵文化財センター是川館)を心行くまで観させていただくことができた。今回の国宝展、私が既に観たことがある仏像等を再び拝観して感じたのだが、国宝が現地から観賞のために移動することで、しっかり拝観(例えば360°で見られる)出来る反面、そのアースフィーリングというか背景の独特の雰囲気が消し去られるというマイナス面もある。
例えば、縄文のビーナスが、竪穴式の神殿に置かれ、香炉型土器の中に揺らめく炎の元で観賞するのとどう違うか?きっと表面の雲母は不思議にきらめき、住居の香りや祈りの音・・・生命(誕生から死)の神秘を伝える女神はますます輝きを増すのだろう。
展示会のテーマが「祈り、信じる力」であったが、祈る対象があってもアースフィーリングのような背景がないと、ちょっと寂しい。とは言え、素晴らしい展示会で、多摩のストーンサークルの近くで発見された土偶の一部が中空土偶に似ていることもあり、その展示がある11月下旬にでも是非再訪したい。そのころには弥生時代の「漢委奴国王」金印も来ている。
さて、昨日は電車の行きかえりの中で上田篤さんの「縄文人に学ぶ」(新潮新書)を拝読させていただいた。専門は建築だそうだが、30年間ライフワークとして縄文を研究された方ということで、沢山の学びがあった。特に、日常的な衣食住のところで教えられた。
例えば、私の育った祖父母の家には仏壇・神棚があり、朝になると祖父母がチーンと仏壇にお供えしている音が聞こえた。こんな当たり前の風景も縄文の竪穴式住居からの伝統がありそうだ。また、住いは日本では南向きが好まれるが、これも縄文からの伝統だったようだ(女性が太陽の位置等を眺め、移りゆく気候を観るのに適していたとか)。縁側で祖母からお菓子をもらったり・・・そんな当たり前のことも縄文文化の影響があったようだ。
ご馳走といえば、例えば正月の御雑煮やおせち料理。これも山海の珍味を味わう縄文からの伝統であろうし、鍋は一万年以上前の縄文土器からの伝統。さらに晴れの日に使う漆器も9000年前のもの遺跡から見つかっている。勿論、これらは世界の四大文明(世界的には支持がなく死語になりつつある)より遥か以前である。
一万年続いた縄文時代では戦争もなかった、妻問い結婚を中心にした母系社会の伝統は、芸術的にも萬葉集や源氏物語をうんでいく。平和の思想も、ベトナム戦争当時の、Make love, Not war! のヒッピー文化の超さきがけだったようなところもあったようだ。
勿論、様々な渡来してくる人の影響や外部からの圧力もあり、弥生時代、古墳時代、そして天武・持統朝のころの律令制で変容していくが、縄文は未だに残っている。そして、心の健康に強く関係する愛の原形*1として私たちに、大きな影響を与えていると思う。愛の原形は主題が例えば平等院の雲中供養菩薩としても、それだけでなく、その背景の建物や宇治という土地から醸し出される五感からくる雰囲気があって、はじめてなりたつ。
*1 愛し愛される方法がそれぞれ人により違いますが、その違いを生む元の形を<愛の原形>といいます。(生き甲斐の心理学 8ページより)
異文化と愛 ② 7/10