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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

若いころの「死」の練習と、信じて見える世界!(技能 4/10)

2011-10-03 | 第四章「愛とゆるし」

 8歳から12歳のころに、エリクソンは技能、勤勉性、劣等感の原型ができるとしている。ちょうど小学校のころであるが、劣等感を考えても、当時の自分の理想と現実のギャップから生まれる劣等感は、学校の成績が良くなりたいとか、〜したい、という両親等の影響による理想に確立と無縁でないようだ。

 ただ、還暦を迎えた現在から振り返ると、当時の劣等感は、勤勉性を育て(散らかしっぱなしの私が、突如続かないまでも几帳面になったり)、さらに技能(体育や音楽が好きだった)を産んできたように思う。そして、当時感じた劣等感の多くは今となっては解消しているようにも(気の持ちようも変わったりで)。

 しかし、その中にあっても12歳で解決することもなく、それから長く人生の中で影響を与えてきた劣等感もあるようだ。

 それは何であったか。6歳の時に、いろいろ感情的摩擦があったI君が目の前で、交通事故で亡くなったこと。それから、10歳の時に、夏休みに海で危うくう溺れるところを父に助けられたことと深い関係があるようだ。

 肉親との関わりは、人格形成上極めて大きい。良きにしろ悪きにしろ、自分の人生はそれを引きずっていく(最近は、明るく解釈する部分が増え感謝することが多いが)。

 一方、死の危険とは、思いかけないところからやってくる。危機の中では、自分の思考・感情・行動の活動の場がいつもと違って凝縮される。他人や生き物の死に触れたり、自分の危機を体験してから、「死」の練習がはじまるように思う。

 「死」の不条理性は、この世的には理屈では解けない。多様な感情のレパートリーも8-12歳では増えてきている。幼いころは母に言われたとおり神を信じることができても、理屈をたどったりして「死」の練習をすればするほど、ストレスはどろどろしていくように感じる。学校の宿題のようにこつこつやれば「死」の練習は効果を上げ、不安が解消するというわけでもないようである。

 大学生のころに、一時チェコスロバキアの作家、カフカに凝った時期がある。例えば「変身」という小説があるが、ある日目覚めると大きな毒虫になって、部屋の中で蠢くがふとしたことで怪我しやがて死んでしまう。一番感動的なのは最後のシーンで、主人公の毒虫が死んだ後にも、両親や妹(信じて見える世界)はちょっとは悲しんでも幸せな日常に戻っていく。しかし、信じないで見える世界は主人公のザムザのような救いのない世界である。

 こんな中、若かった自分にとっての希望は、世の中には自分のようなグレゴールのような存在もあるが、神仏を信じて何かが観えた人たちもいるということであった。信じて見える世界・・・それはどんなものであるのか、どんな心境なのだろうかと当時、夢想したものだ。

 さて、若い頃の「死」の練習はそこで止まってしまった。仕事もあり、結婚や家庭など、やるべきことは沢山あった。そして、この「死」の問題に封印した。しかし、長い人生、それで済むこともない。

 「死」の練習の続きは、40才台になってからであった。そしてある時に、突然、「死」の練習は終を告げる(ように見えた)。それは論理や理路の世界というより、見えてしまって変わった感情の世界であった。

 その日をさかいに、大きく変わったが、その中で生き甲斐の心理学を勉強も始めた(これは本当にラッキーであった)。何かを信じて見える(見えて何かを信じることもあると思うが)・・・そんな現象を、実は比較宗教をベースとして海外ではかなり心理学のテーマとして研究されている(日本では余り研究されていないようだが)。

 海外では、デジデリウム(見神欲)と言われている情動が研究されてきた。それは、私にとっては一つの深い、劣等感のように思える。そして、この私が経験したような「死」の練習は、民族の神話などにも残っているように思う。5万年前ごろに現世人類はアフリカを出発し世界に広まって行ったが、もうそのころには宗教があったという研究もある。

 日本の神話も、論理ではなく心理的表現(象徴だろうか)で「死」の練習を取り上げているように思う。イザナキが死んだイザナミを追って黄泉の国に行き、帰って来る。互いに愛する妻よ、愛する夫よと叫びつつ、この世とあの世は大きな岩で通路を塞がれ別れてしまうが、そういった神話の中で古代人は「死」の練習をし、人間にとってもっとも大切な死に対する技能を身に付けて行ったのではないだろうか。

 昨日は、はやぶさ(映画)について述べたが、「死」の練習を内蔵するプロジェクトは成功するが、その反対に「死」の練習を内蔵しない原発は大変なことになったのではないだろうか。日本の先人(あるいは人類の祖先)の知恵をもう少し、勉強する必要が私も含めあるように感じてならない。

 技能 4/10

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