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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の思考とは何だろうか?(裏の行動 7/10)

2017-01-05 | 第一章「意識と知覚」

 数学の難問を解いたり、難しい類推をしたり、・・・創造的思考とは何か、とかいろいろ昔から思考について考えてきたが、「生き甲斐の心理学」を学ぶようになってからは、自分の思考を特徴づける個性とか、思考の中の病理論で重要な理想とか現状の把握に興味を持つようになってきた。

 心理学では自己概念といった言葉が良く使われる。今朝私は、これが自分なりの理想や現実の把握の仕方の集合体と考えたらどうだろうかと妄想していた。そして、その各々の理想と現実のギャップが現実の中でさらに反応してストレス曲線(暗い感情)となる。

 最近、7世紀の唐の国の女帝則天武后のテレビを見たり、小説を読んでいることが多い。武后の立身出世、そして、昨晩は皇后になるために、今の日本では信じられない行動に走る(自分の子供を殺めたり、ライバルに残酷な仕打ちをする)。厳しい陰謀渦巻く社会で生き抜くには、そんなことまで必要か・・・それで、眼が冴えて・・・深夜にカルタゴの歴史書に読みかえて、やっと寝付けた。

 自分の自己概念、則天武后の自己概念・・・随分違う。私にとっては5000年前の縄文の祖先のが親しみを覚えるが。しかし、どんな自己概念をもっていても人間は人間である。人間の尊厳とは何かと逆に哲学的に考えたりする。人の中に愛そのものも、どこかにあるはずだと信じることは、私にとって混乱感から脱失するための一つの大事な要素だ。

 昨日は慈眼で、自分の感情の意味を考えたり、行動の意味を考えることを取り上げた。この延長線上に思考の意味を考えてみる。今となっては、慈眼で自分の思考を見ることは余り抵抗は普通なないが。やはり、青春時代は、自分の思考というより、他人の借り物の思考が自分の中では幅をきかせていて、カオスそのものだったかなとも思う。しかし、それも長い人生から考えると大切なことかもしれない。昨年はドストエフスキーの罪と罰を完読できなかったが、今年は完読したい。自分の思考をどう受容するか。

裏の行動 7/10

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森 裕行
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