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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

正義を主張するとは何だろう?(主張 1/10)

2011-07-22 | 第二章「五感と体感」

 新平家物語を読み始めているが、なかなか楽しい。丁度、強訴の話が出てくるところを読んでいる。

 延暦寺に何年か前に訪れ、いろいろお世話になったり、横川まで足を伸ばして楽しんだが、その延暦寺が当時は、清盛をターゲットにするなど強訴をしていたというお話を読みながら、考えさせられた。

 神輿を担ぎ正義を主張する。何千という人たちが京で、強訴をする風景。また、それに対し強訴を受ける人たちの不安感。

 さすがに、900年以上が経った今は強訴など、昔のことである。延暦寺を訪れても、そんなことがあったとは想像できない。美しい自然に囲まれた神聖な祈りの場所そのものだ。

 しかし、正義を主張することは昔も今も変わらないようだ。理不尽ともいえるような主張も、この10年を考えても多くなることはあっても、減ることはないようだ。

 日本の猫の眼のような政権交代、政治の不安定さも、こうした強訴体質が日本人の中にあるためだろうか?ただ、日本にも自浄作用があり、長い年月の中で強訴は消えてゆく。今は例えばマスコミが似ているかもしれないが、毎年購読者を確実に落としながら、その影響力を失っている現実もある。

 絶対正義を人間が主張することは、どこか虚しい。

 主張により、自分も他者も幸せになっていく。そんな主張が増えないだろうかと思う。

 逆に、主張することで、自分が不幸せになったり、他者が不幸せになったり、時には皆不幸せになったりする。

 相手への感謝の気持ち、そんな気持ちがどこかにあれば、事態は好転するように最近思う。

 主張 1/10

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