生き甲斐の心理学を学び始めて、なるほどなと思ったことがある。二つの幸福である。
そもそも、「あなたは幸福ですか?」なんて訊かれることは人生極めてまれだし、意識しないと、私の例で恐縮だが、幸福についてはほとんど考えない。しかし、こころの健康上、意識したいポイントなのだ。
理論では二つの幸福のことに触れている。ひとつは幸福の条件。通常人は何か目標や価値基準をつくり、それに向かう。進学や就職、結婚、収入、仕事の目標など結構いろいろある。そして、努力し幸福をもたらす。
そして、もう一つは、特に私などは忘れがちであったが、感情としての幸福感である。ふとした日常の中で見出すような幸福感。綺麗な月を見たり、美しい音楽を聴いたり、おいしいものを食べたり、神社・仏閣・教会で味わう感動だったり・・・これも馬鹿にできない、人生の宝である。これを理論では幸福感とよぶ。
自分の過去の生活を振り返ると、「幸福の条件」と「幸福感」のバランスが良いとき、そうでないときなどいろいろあったようだ。そんなことを想い巡らすだけで、人生が楽しくなってくる。
さて、持統天皇の二つの幸福はどうだったのだろうか?
厳しい政治の世界の中で、何らかの理想=幸福の条件をもって活動されていたのは確かだ。皇后、天皇、上皇の地位(当時は皇親政治なので実質的な政権トップ)にあったのは28歳から58歳の30年間である。その間になした功績は凄いものがある。ただ、どこまで思い通りだったかはかなり疑問が残る。
では、幸福感はどうだったのだろうか。次の和歌は萬葉集1-54で坂門人足が読んだ歌で持統天皇(この歌の時期は上皇)が直接読んだ歌ではないが、何となく持統天皇の幸福感を彷彿させる。
巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を
持統上皇と文武天皇が白浜温泉に行幸したときに途中の巨勢山で歌われたようだ。冬の山中の椿だけでなく、持統天皇が援助した巨勢寺をも想っているようだ。なんとも言えない魂の喜びを感じる。
自己開示力 3/10