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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

無意識を考えさせる易経!(心の健康度 ① 4/10)

2014-04-16 | 第三章「無意識の世界」

 意識の世界だけでなく、無意識の世界があると知ることは大事だと思う。しかし、それを変に探究するのは信頼できる支援者がいない限り止めた方が良い。

 「生き甲斐の心理学」を学んでいくと、湧き起こる感情の大半は、暗い感情=理想と現実のギャップで理解できるものだ。しかし、無意識の世界からくるものは、実に判りにくい。逆に無意識は、不可解な感情・情動が現れたりすることで気づくような謎の部分でもある。

 ちょうど私にとって、今は、新年度を迎えての変化の時でもあり、年齢からくる前期高齢者(?)への転機(笑)の時であり、それから「生き甲斐の心理学」で自己分析を深める時でもあった。ついでながら、昭和26年生まれは、日本で愛好されている暦によれば八方塞(笑)。

 そんな中、この数週間、自他肯定的な情動ならいざしらず、何か変な情動や感情に悩まされていた。勿論、これはアイデンティティの問題とも関係が深いが、その背後には心の奥底にある、得体のしれない感情がふつふつと湧いてくるのであった。

 こんな時に、昨日U先生の勉強会があり、久しぶりにユングが愛好した易経をやってみるチャンスがあった。易経は数千年にわたる東洋の知恵であり、その知恵からは欧米の心理学者も大事にされ無意識の研究にも貢献しているようだ。

 さて、私の易経の結果は天水訟であった。その意味は争いであり、潜在意識の中に自他肯定的でない攻撃的な要素がうごめいていることを暗示していた。まあ、偶然の一致にしては、余りによくあたっていて驚いたのだ。そして、今日は、その意味を自問自答している。

 10歳の時に、海水浴で溺れかけ父に助けられたことが、自分にとってどのような影響を及ぼしているかは今でも謎であった。6歳の時の友達の交通事故死の影響で車嫌いになったりすることははっきりしてきたのに、10歳のときの経験は何を残したのかよく判らなかった。エリクソンの理論であると、この時期は技能、勤勉性、劣等感の時期である。

 私は、有島武郎の「一房の葡萄」を愛読しているが、この短編はこのエリクソンの理論からみても実に考えさせられる。ちょうど主人公が10歳前後くらいなのだ。この話には隠された部分があり、主人公の嫉妬や劣等感が大きなテーマなのだ。そして、よく判らない情動の中で主人公は友達の絵具を盗んでしまう。小説の後半は先生による愛の教育がテーマで素敵な話で、全体的にいろいろ考えさせられる。

 私の、10歳の時に溺れかけた事件の無意識への影響は、いろいろ思索するといろいろ思い当たる。父と子の肯定的な絆がある反面、何か変な依存関係や劣等感の強化もあったかなと、ふと思った。強烈な恐怖体験は光と影を残すのだろう。易経から自分のことではあるが知らない自分を知り、自分の防衛機制の傾向を知る上でも助けになったようだ。

 無意識の世界は、実に不思議である。それは科学的に解明できる部分もあるかもしれないが、魂といった時空を越える部分ともつながっているという説もある。そして、無意識の意識化と自己開示は一般的には良いことのようだが、時には自分のアイデンティティを崩す何かに触れるため悪影響を及ぼすこともあるのだろう。

 つくづく思うが、無意識の領域を探るには、信頼のできる知識豊富な人の元でやるべきだ。そして、易経をはじめ伝統的な人類の智恵はバカにしてはならない。

心の健康度 ① 4/10

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