イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

稽古やリスキリング・・縄文時代からの大切なやりかた・・(縄文世界を感じるとき 6/10)

2023-02-02 | 第三章「無意識の世界」

  この数十年。マニュアル的な世界やリ・スキリングが日本でも随分広がったように思う。ファミリーレストランの標準化されたスマートなサービス。昔は何となく憧れたものだった。しかし一概に言えないかもしれないが、例えば仕事や学びを身に着けるといったとき、これを読んでね・・で終わるようなありかたは果たして良いのだろうか。昔は、背中を見て覚えよとか、先輩から盗めなどという言葉が代表するように、不親切な時代だった。そんな中で、マニュアル的な世界は親切で有難いと思ったものだ。しかし、そういった世界が開かれるなかで私は生き甲斐の心理学をU先生から学んだり、今はさらに縄文について学んでいる。写真の土器づくりも一つだが稽古やリ・スキリング、学習について考えてみた。

 マニュアル。ここでは一つの象徴としてお話する。決してマニュアルが悪いと言っているのではない。ある仕事でも学習でもよいと思う。ある成果を上げる最適なプロセスが決められていて、それを踏襲すればよいというものだ。型というのだろうか。したがって、最終的に到達すべき地点が明確に描かれている。そして、不備があれば改定され、よりよい最終到達系がしめされるであろう。しかし、それはスマートでよいことであるが、問題点もなくはない。何回か読んで何となくわかった気分になる。そして、仕事や学習も一応できるようになる。しかし、だからといって、そのマニュアルを書かれた方がその道の権威者であるとして、同じような知恵をもって臨機応変にいろいろ対処できるかといえば・・・全くそうではない。

心理学のテキストは巷にあふれているが、私はU先生の「生き甲斐の心理学」の147ページのテキストを先生について20年近く学んだがやっと書かれた意図が少しわかったというような状態である。書かれた内容は決して難しくないのだが、身につけて生活の中で役に立つかなと思えたのは10年くらいたってからであり、U先生の意図が少しは見えてきたのが最近である。それはテキストを頭で理解するというより身体で理解するといったものに近い。

私はかつて、福祉の修行をしていた時に車の2種免許を取得した。タクシーの運転手もできる免許である。残念ながらその資格を生活の中で活かすチャンスはあまりなく最近2種は返納したが、運転の学びからいろいろ学んだ。資格そのものも実技はV字カーブとかS字カーブをバックで運転するなど一見華やかであるし、筆記試験もかなりハードルは高かった。しかし、友達から聞いたりしたが、その資格を持っていても実際のバスの運転などはもっと大変。一言でいえば失敗のゆるされない世界なのである。そんなことでかつて、バスの運転手さんの運転などを後ろからよく観察した。身体で覚えるというか、基本をどのように踏襲するか。ダブルチェックとか甘い仕事の世界ではなく、真剣勝負の世界がそこにあった。

縄文土器づくりの世界。縄文をからだで理解するには大切な世界だと思い、何年か前に岡山で経験したが、昨年から身近な場所で体験することができるようになりチャレンジしている。実際にいろいろ体験させていただいていることから、この世界もあきらかに真剣勝負の世界であることが分かった(縄文の世界は)。人生100年とかの今であるが、当時は人生30年くらいの感覚である。その中でDNA的にはほとんど変わらない身体や脳をもった先祖は土器づくりを真剣勝負で行ったのだろう。縄文時代の土器や土偶、そのほか石器や住居でもそうだが、そこには真剣勝負がある。だから縄文ブームもおこるのだ。

 さて、個人の成長ということを考えてみる。個人の成長は何か蛇の脱皮に似ている。私は幸運なことに師に恵まれた人生であった。小学校の時の師。中学校の時の師。高校生の時の師。大学の時の師。社会人になってからの師。そして、生き甲斐の心理学の師。縄文の師・・その存在はなんと大きいか。マニュアルを一人で読んでも、師の存在なしではかなか脱皮できないものだ。

 私は大学ごろから、Something Greatの世界が何かぼんやりだったかもしれないが感じていたように思う。自分を超える存在。それを認識することは、目の前に今一見見えているマニュアルではなく、未完成な自分を追い立て、試行錯誤に導く原動力になったように思う。そのためには、信頼できる師についてマニュアルを学ぶことが大切であった。師について10年~たつなどし、稽古が深まり自分の立ち位置が少しは分かるようになってくると、ある時別の世界が広がり始める。西平直氏の「稽古の思想」(春秋社 2019年)を読んだが、世阿弥の似する、似せぬ、似得るといった概念(学ぶ、脱学ぶ、新しい学ぶというのだろうか)をつかって分かりやすく書かれていたが、人の人生での一つの成長はそのような流れになることは、生き甲斐の心理学の学びの中でも学んできたが、とても分かりやすかった。縄文時代の人々の学びそのようであったと思う。

縄文世界を感じるとき 6/10

------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。