先日、京都の東福寺を訪れた。素晴らしい庭園を見ながら、美がこれまで如何に私を癒し、窮地を救ってくれたかを考えた。窮地にいるとき、本物の美は不思議なことに、何かをつぶやき、そして深く魂に触れるようで、ふと何かを悟らせてくれる。
高校生のころに訪れた、東京近辺の山、伊豆半島の美しい自然、大学生の時に、明け方の東の空に輝く明星を見て、こころが洗われた。卒業後、入社して関西に転勤となり、独身できままに京都や奈良を散策した。広隆寺の弥勒菩薩、興福寺の阿修羅像、浄瑠璃寺、東寺、清水寺、青連院、養源院、薬師寺、東大寺、竜安寺、飛鳥方面、法隆寺、奈良公園、正倉院・・・いろいろ訪れたが、そのうちいくつかは、確実にこころの糧となった。美術館の芸術品にも大きなめぐみを頂いた。音楽も小学校のころに父がステレオを購入し、クラシックからジャズの名曲のレコードを良く聞いた。
停滞し、苦境に陥っているときこそ、美に触れるチャンスをもつべきだと最近つくづく思う。
高校生のころに訪れた、東京近辺の山、伊豆半島の美しい自然、大学生の時に、明け方の東の空に輝く明星を見て、こころが洗われた。卒業後、入社して関西に転勤となり、独身できままに京都や奈良を散策した。広隆寺の弥勒菩薩、興福寺の阿修羅像、浄瑠璃寺、東寺、清水寺、青連院、養源院、薬師寺、東大寺、竜安寺、飛鳥方面、法隆寺、奈良公園、正倉院・・・いろいろ訪れたが、そのうちいくつかは、確実にこころの糧となった。美術館の芸術品にも大きなめぐみを頂いた。音楽も小学校のころに父がステレオを購入し、クラシックからジャズの名曲のレコードを良く聞いた。
停滞し、苦境に陥っているときこそ、美に触れるチャンスをもつべきだと最近つくづく思う。