私も蛇とかヤモリなど嫌いな生き物がいるが、人それぞれ嫌いな生き物があるようだ。ブログに写真をアップするなかで気がついたのは、たとえば美しい蝶の写真を喜んで掲載しても、意外にいまひとつ反応が悪かったりする。蝶が嫌いという人が結構いるのだ。
人にはそれぞれの成育史がある。私は、恐ろしかったのはヤモリである。青年時代まで住んでいた家には、ヤモリがいて、ときどき顔を出す。それが嫌いである日、たたいて殺した記憶がある。その行為が、自分の中で混乱感をさらに増殖させたようなところがあり、ますますヤモリが嫌いになってしまった。
猫が嫌いな人、犬が嫌いな人、蝶が嫌いな人・・・恐らく、人それぞれ納得できる原因とその解釈があると思う。現世人類七十億人分の嫌いな生き物蘊蓄があるのだろう。
さて、生き物にも何か不気味な要素があるが、やはりお化けの世界はもっと不気味だ。このブログでも、幼いころの恐怖体験を書いたことがあるが、世の中にはもっと凄いものがある。高校生のころはラフカディオ・ハーンの怪談をよく読んだ。高校までの通学路に、のっぺらぼうが出た場所があったりし、夜道で怖い思いもした。
心理学の世界では、たとえばエリクソンが、アイデンティティ統合、混乱感、忠誠心の深い関係を述べているが、混乱感の最たるお化けは、深層心理学を学ぶ意味でも大切にされているようだ。
現代も表面的には科学的な態度が幅を利かせ、伝統宗教が元気がなかったりする反面、ホラー映画をはじめ、不思議にお化けは元気がよい。さらに、自分の経験した60年代なる古き良き時代と比べても、現代は昨日の理想の問題にもあるように、無意識のうちに自他混同、理想と現実の混同があったりする不気味がある。
実は、昨日U先生と今年最後の勉強会に参加したが、お化けのお話がメインであった。お化けの研究で有名な井上円了先生のお話もあった。何年か前に、何かのお話の中で、私が八王子の某図書館で、井上円了先生の妖怪学全集(復刻版)があると話したとき、大喜びをされたことが懐かしい。
カフカの不思議な小説も良いが、どうも日本のお化けの研究は自分にとってもっと大事な研究のようだ。来年東北に仕事で行くので、古層を学ぶためにも遠野物語を、まずは読み始めてみよう。
因みに、混乱感の反対のアイデンティティの統合も、混乱感で魂の問題があるように、魂の問題と深い関係があるようだ。
明るい感情を大切に 3/9