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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

しあわせを想う 今も縄文時代も (1/10 宝の幸福曲線)

2021-09-15 | 第二章「五感と体感」

日常の中でもリラックスしていると「幸せ」とか「さいわい」という言葉が情感をもって伝わってくることがある。多分やまと言葉というか長く利用されてきた言葉(縄文時代から?)で幸福感とか幸福といった言葉以前に使われてきたのではないかと思う。「さ」とか「し」と言う発音に関係する情感が大切なのだろう。

「生き甲斐の心理学」を学んでいるので、「幸せ」とか「さいわい」の言葉の背後にしばしばある感情のことを考えてしまう。それは幸福感なのだろう。

幸福感は、どんなときに感じるか。あるいは自分の人生の中ではじめて幸福感にであったのはいつか。厳しい時代の中でも幸福感について想いを巡らすことは価値あることだと思う。明るい感情を意識することは、暗い感情のスパイダルを断ち切る働きがあるからだ。

幸福感と考えると頭が痛くなるときは喜怒哀楽の喜びとか楽しみといった切り口で考えた方が良いかも知れない。年が分かってしまうが、私などは幼い頃にラジオをひねり「赤胴鈴の助」のテーマソングが流れた時を思い出す。恩寵のように煌めく幸福感。それを祖先達は「幸せ」とか「さいわい」といった言葉で表現したのではないか。

さて、明るい感情はいろいろある。仕事で一息入れたときの平安感などから、宗教画などに時折描かれる法悦感とか「生き甲斐の心理学」で言われる統御感まで、ストレス曲線と同じように松竹梅があるようだ。幸福感は「生き甲斐の心理学」では幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)の4番目に登場する。また、反対の感情は鬱(ウツ)である。

まあ、理論のはなしは頭が痛くなるのでこのへんにして、気楽なお話をしよう。

3歳のころに夢中で聴いていた「赤胴鈴の助」。ラジオのダイヤルを合わせテーマミュージックが流れるときの幸せ。これは将来に向っての幸福感とも言える。当時の自分がどんなだったかは殆ど記憶がないが将来への幸福感、胸の高鳴りは何だったのだろうか。

それは今の自分にとっても大事なことかもしれない。古希も過ぎどちらかというと嫌なことが目白押しの老後なのであるが、死を迎えるときには幸福感の中で死にたいと思っている。さらにその際、感謝という過去や現在への幸福感も大事だと思うが、死後の救いや出会いを信じての未来の幸福感も持ちたいと思う。人生の最後を満願で終えるのは欲張りなのだろうか。

1/10 宝の幸福曲線

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