イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

新宿御苑の不思議な空間と大木!(地図と年表 3/10)

2014-06-29 | 第五章「和解と平和」

 新宿御苑の前身は内藤藩の下屋敷であるが、その領地は徳川家康より拝領した。そして、何故拝領したかについて、逸話がある。家康が江戸に入ったときに内藤清重をよび褒美として、老馬で回れる土地を与えるとした。清重は老馬で広大な土地をなんとか一周し、それが今の新宿御苑の原形となったという(一部の領地は東京都に払い下げ新宿高校になったりするが)。

 先日、その老馬の駿馬塚がある内藤家の多武峰神社に行ったが、閑静な神社でとても爽やかであった。新宿御苑でもなく、まして内藤新宿の雑踏からも離れ心地よかった。

 この新宿御苑は、庭園が江戸時代有名であったが明治になると、植物園ができ1906年に新宿御苑となる。そして、私の母方の祖父母からずっと何代にもわたりお世話になっている。

 この新宿御苑、このところ結構妄想することが多い。それは、最近、新宿歴史博物館に行き、内藤新宿に興味を持ったことに始まる。江戸時代にどちらかというとマイナーな甲州街道の宿場町を町人が出資して作ったことから新宿は始まる。四ツ谷の大木戸から始まる内藤新宿は、江戸の歓楽街としても発展し栄えたようだ。

 そして、その内藤新宿の面影を残す、大宗寺、正受院、成覚寺を訪れた。閻魔様や奪衣婆像、地蔵や切支丹灯篭、子供合埋碑などに触れると、どういう人がどのように祈ったのかも含め、いろいろ感じてしまう。

 

 こうした、有形の文化財の外にも、落語の郭話、内藤新宿の話もあるのを今朝知った。今の時代とは、かけ離れているところも多いが、本質的なところは変わらないところもありそうだ。

 どろどろとした世界の中で、当時の庶民もしっかり生き抜いていったのだと思うと、何とも胸が熱くなる。そして、内藤新宿の近くの内藤家下屋敷のことを想う。内藤新宿とは違った閑静な武家屋敷は、当時も異空間だったかもしれない。

 さて、新宿御苑で思い出すのは、ちょっと時代が前だが、庄司薫さんが書いた「ぼくの大好きな青髭」である。この小説の舞台は新宿、そして夜に新宿御苑に忍び込み大木のそばで語り合うシーンがあり、なかなかいいのだ。私の青春時代は60年台後半から70代前半だったが、当時の時代の不可解さ(今に通じているが)と、その中で台風の眼ではないが、都会の中にある異空間をうまく描いているように思う。

 郭話もそうだが、様々に絡み合い出口のないような世界にありながら、どのように健康に生き抜いていくか。U先生も言われているが自己イメージはとても大事で、「ぼくの大好きな青髭」ではないが、自分のイメージを好きな大木と重ねてみることが大事なようだ。そして、のんびりと「自分は何のために生きているのだろう?」と考えてみる。

地図と年表 3/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。