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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

7世紀の受容の精神!(傾聴 6/10)

2013-03-23 | 第一章「意識と知覚」

 先日、久しぶりに飛鳥寺に寄った。そして、すぐそばに蘇我入鹿の首塚があることに気づいた。ちょうど、蘇我氏の本拠地の甘樫の丘を望む形で首塚がある。

 記紀は当時の政権に力を及ぼす藤原家の影響もあり、蘇我入鹿は極悪人とされている。しかし、実際はどうだったかだろうか。かなりの善政をしたとの説もあるようだ。

 複雑怪奇な7世紀の日本。沢山の血が流され、思想的にも文化的にも政治的にも日本の原型が形成されていく。

 蘇我入鹿を殺めた天智天皇の子として、殺めた年に生まれた持統天皇。57歳まで生き抜くためには不思議な能力も必要必要だっただろう。

 4歳のときに実父が当時の蘇我氏のNo.1の祖父でもある石川麻呂を殺し、石川麻呂の子である実母が狂う。弟がそのせいもあり障がいを持って生まれ、やがて夭折する。祖母は斉明天皇だが、半島の百済支援に家族総出の大遠征途上で亡くなる。実父の敵?ともいえる立場の天武天皇と政略結婚をし後に実父勢力と袂を分かつ夫の天武天皇側につき壬申の乱で勝利する。子である草壁皇子を産むが、甥の大津皇子を謀殺し、天武天皇の長男である高市皇子も牽制していく。蘇我氏と敵対する可能性の高い藤原不比等と手を組み国を統一していくのは凄い。

 持統天皇は蘇我氏の血を引いていた。祖父の菩提寺山田寺の再興をしたり、この蘇我氏の寺である飛鳥寺も大切にしただろう。

 こうした持統天皇の生涯を外観すると、女帝にとって敵とは何だったか不思議になる、敵にどういう思考・感情・行動がともなったのだろうか。

 現在の日本でも、日常の中では殺し合いは少ないかもしれないが大変な葛藤はいたるところにある。その中で逞しく生きるにはどうしたらよいか?

 聖書には有名なルカによる福音書6-27に次の言葉がある。「敵を愛し、あなたの憎む者に親切にしなさい。悪口を言うものに祝福を祈り、あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」

 7世紀の日本の思想は良くわからないが、 怨霊思想などの原型はあったに違いない。その中で持統天皇は長寿で57歳まで生きぬく。聖書の言葉は知らなかったかもしれないが、何らかの受容とかゆるしの思想を理解していただろう。

 因みに、生き甲斐の心理でいう受容とは、相手に賛同することではなく、相手の個性を尊重し意見を認めるだけ(自問自答でも基本は同じ)。このこつを知っているのと知らないでは厳しい世界では随分違う。敵を愛すという言葉も受容という観点で見ると理解が進むようだ。

 天香久山から畝傍山方面に夕日が沈む。遠くの山の右側に大津皇子にゆかりの二上山が見える。

 傾聴 6/10

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