先日、ある方が「欧米での経営手法、選択と集中の考え方を取り入れて、経営を変えてきた会社は、この不況でかえって深刻な打撃を受けている。」といわれていた。なるほどと思った。
日本の歴史を考えても、例えば信長による比叡山焼き討ちによる、日本の宗教・哲学の打撃はかなり深刻なもので、現在までその影響は広がっているという話もある。あるお坊さんと話をした時、キリスタン迫害が有名で、意外と忘れられているが仏教迫害も当時はそれ以上だった。そんな話を思い出した。
意識化された合理的思考と行動を追求するあまり、自らの歴史的存在を否定して、歴史的資産等を簡単に切り捨てることは、長い目でみると大きな痛手になることもあろう。何か大切な個性(無意識の世界を含んだ)を傷つけてしまっているように思えてならない。
臨床心理学や深層心理学を勉強していると、「自分以外の他人は驚きの対象・・・」といった、ことをよく聞く。海外等で、違う文化の人と接触することで以前はよく驚いたが、最近は日本といった一見均質な社会であっても(随分変わりつつあるが)、この言葉は本当だと思うようになった。
一人ひとりの成育史は違うので当たり前なのだが。自分と他人は違って当たり前。自分の意見は通らなくて当たり前と考えたほうが、心の健康上よろしいようである。
「生き甲斐の心理学」では、個人の成育史を大切にする。勉強するうえでも、本当に大切だと思う(U先生によく言われるが)。自分の成育史をレファレンスにしなければ、心理学の貴重な宝もただのゴミの山のようになってしまう。
自分にも、ユニークな成育史を始め、40億年の生命の歴史(137億年のといったふうにビックバンを考えるのが良いかもしれないが)もある。きっと個性があるのだろう。
その中で、①自分は何のために存在するか?②生き甲斐は何か?③自分を大切にしているか?この3つのこころの健康の元といわれる、問いかけをしながら、生き甲斐を創造し続けたいものだ。不思議なことに生き甲斐そのものも、スパイラル・アップ(螺旋状に上昇するするもの)のようで、最終的な姿は見えにくい。
(生き甲斐の創造 15/15)
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