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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

好きか嫌いかがはっきりすると、いい仕事ができる!(旅と真善美② 7/10)

2013-09-14 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 いい仕事をする上でも、自分の生き甲斐探索をする上でも、こころの健康のためにも、好きか嫌いかの感情を意識するのは重要だ。

 これは、倫理道徳とか、~すべきだという思考から離れて、自分のうちから湧き起る感情を意識するのだ。ポイントは他人は他人、自分は自分と明確にすることも大切なようだ。感情は自分でもなかなか分からないこともあるが、好きか嫌いか、怖いか怖くないかの原初感情は感情の中でもリラックスしていると意外に判るものである。U先生によると、初対面の人でも好きか嫌いかは、かなり短時間で意識できるそうだ。

 さて、昨日から縄文文化が楽しくてたまらないので、夕方近くの博物館に行ったり、書棚から昔買った縄文土器の本を読んだり、昨年行った故宮博物館の図録を眺めたりしている。そうするうちに、今まで古代史の謎の一つ月読命のことが、何となく見えてきたのだ。今年は、八王子の勉強会で月をテーマにしていたが、この月、太陰暦などだけでなく、死と再生を意味する象徴として、身近な縄文文化や日本文化の祖先たちに多大な影響を与えてきているようだ。月といえば兎を日本人は連想するが、実はさらにヒキガエル、水、女性などが古代では感受性豊かにイメージされていたようでワクワクする。

 こうした私の傾向は、恐らく6-7歳のころに原型があり、それが好奇心というか好きの感情に煽られて、行動と情動の組み合わせでますます盛んになってきた例のようだ。

 しかし、この世は好きだけでなく嫌いな感情が湧く場面も、その何十倍もあるようだ。そして、嫌だなと感じても逃げてはならない場面も多い。相談や支援の仕事では、このようなことは日常茶飯事だと思う。もちろん好きだと感じた人も、別の日には嫌いになっていることもある。そんな場合、大切なの柱というか思想性だろう。好き嫌いの感情を越えた、自己肯定・他者肯定の思想があれば、不思議なことにさまざまな展開がおこるように思う。私の場合は、その思想はカトリックの思想である。そして、不思議なことに、嫌いな人が好きになることもある。このへんの不思議さを体験すると、世の中が違って見えてくる。

 そうは言っても、現実はなかなか難しい。人生は修行なのだろう。

 旅と真善美② 7/10

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