マッサンの熊さんはニシン漁で失敗したようで、資金繰りがニッチモサッチモ行かない状況のようである。
この話は、日本の大正時代の話なので、とてもよく判るピンとくる話である。
ところが、4000年前とか5000年前の縄文時代は、こうしたお金を基盤とした価値観の世界とは全く違った価値観の中で、経済が運営されていたようである。原始人というと、脳裡に浮かぶのは「物々交換」であり、私も物々交換のような原理が縄文時代にあったのかなと思っていた。
しかし、遺跡を分析する考古学者の見解はどうも違うようである。縄文時代には、黒曜石とか干貝とか、ヒスイとか、アスファルトとか、ある地域の特産物が、特産地からかなり離れたところでも使われていたことが知られている。それは、そうなのだが、特産地がそれを交換の材料として、他の商品を買いあさったりしているのかな・・・と私など想像するのだが、遺跡物を分析すると、どうもそうではないようだ。
これは謎で考古学者がいろいろ研究しているようだが、例えば阿部芳郎著「縄文の暮らしを掘る」(岩波ジュニア新書)には、互恵性社会を想定していて、単純な交換ではない、別の価値観のなかでの運用があったとしている。「物々交換」はどうも現代人が作った神話のようなのだ。
今でも国と国の関係では、単純にお金の貸し借りがあるだけでなく、以前助けてくれた恩を返す・・・そんな関係があるのだ。今の大問題の人質問題も、単なる経済合理性だけで解決できる問題ではないようだ。お互いに足りない部分を補い、感謝しつつ仲良く暮らすという価値観。古くて新しいかもしれない。
縄文からの風② 3/10