海はいろいろな顔を表す。優しい海、恐ろしい海、怖い海。
多様な海の記憶の中で、私が10歳の夏に経験した経験を今、思い出す。それは、伊豆の今井浜海岸での出来事で、今までも何回か思索した出来事である。
家族4人(父母、妹と私)で旅館に到着し、一家団欒の時を久し振りで過ごした。そして、父と将棋でゲームをしたが、その時、ゲームのルールについて意見が分かれ、喧嘩になってしまった。父に怒鳴られ、悔し涙を流した。
その翌日、台風の余波で波が高かった海岸で海水浴を楽しんだが、飛び込み台付近で波にさらわれ溺れかかった。その時父に危うく助けられた。父が命がけで飛び込み台付近を潜り助け出してくれたのである。
この時の記憶は今でも、はっきりと覚えている。ただ、その事に絡めての、父への想いは、感謝の念というより、何か複雑な感情のようであった。
昨日、たまたまカウンセリングの勉強会に参加し嫉妬の勉強をした。当時の自分は、事件前日の父への感情を想うと、父への嫉妬、劣等感等を持ち始めた時期であったように思う。そして、その事件の記憶と共に長年、父への複雑な感情としてあったように思う。
今、その溺れかかった時のことを考えると、何か不思議な感慨でいっぱいになる。
私は、確かに父に素直に感謝できない事情があったかもしれないが、少年時代を健全に成長していく途上であった。
また、父は学生のころに、溺れかかった人を救出した自慢話を何回か私にもしてくれたが、実の息子を救出することになってちょっと複雑な気持ちだったかもしれない。自分の監督責任のことに、心を痛めたかもしれない。
そして、自分が助かった過程を考えると、何か神の摂理を感じてしまう。
10歳の子供のちょっとした事件であるが、親子の愛、そして神の愛が溢れていたのかもしれない。
<生命の時3/4>
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