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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

統御感に富んだ芭蕉、啄木、西行、一茶の辞世の句 (5/10 愛の孤独から)

2022-03-17 | 第四章「愛とゆるし」

統御感の中でしあわせにあの世へ旅立つ。理想とするところだが、日本の著名な俳句や和歌の偉人はどのような歌を残して逝ったのだろうか。

アイデンティティの統合や現実吟味力もあるが、歌を書くという行為そのものに当然ながら防衛機制が働いているはず。それが臨終に近い身体や思考が弱まる中でどう働くか、霊性とは何かといろいろ考えるうちに、4人の有名な詩人(俳人、和歌、詩)の辞世の歌を思索してみた。

芭蕉の歌
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
侘び寂の美を追求された人生の歌として有名であり、かけ廻るという自由感は何とも素晴らしいく統御感の歌ともいえる。ただ、個人的には幸福という点で本人はどう感じていたかは不明だが、何か寂しさが漂い、愛の孤独はどうだったのかと心配になる点がある。

石川啄木
「呼吸(いき)すれば、
 胸の中(うち)にて鳴る音あり。
 凩(こがらし)よりもさびしきその音!」
26歳の若さで亡くなるということを考えるといたたまれない気持ちになる。胸の音を凩に昇華しある種の美を感じるが、やはり寂しさには、愛の孤独がつながり統御感ではないように感じる。

西行
「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」
3月15日ごろの歌なので、この花は桜か梅かと考えると梅のようにも感じる。桜が有名になったのは江戸時代なのだ。。それはそうとしても、この句の描く美しさや温かさ・霊性はやはり統御感の道を生き抜いた人だと感じてしまう。しかし、どこか視覚的で温かさというか霊性という意味で知性化が強すぎるのではと思ってしまう。

一茶
「盥(たらい)から 盥へうつる ちんぷんかん」
産湯の盥と亡くなったときの湯灌(ゆかん)の盥を対比させ、その間の人生をちんぷんかんぷんとするのは何とも凄い。しかし死をも何か温かいものと実感できるので私は優れた俳句だと感じる。個性の美豊かな一茶で好き嫌いがあるとおもうが、私は一番霊性を感じる好きな歌だ。

文章を書くことは防衛機制でいうと、昇華とか知性化などにも関係がある行為であるが、身体が弱り思考も弱った臨終に魂の声となるとどうなのだろう。辞世の句とは何か。いろいろ考えてしまう。専門家でもない私であるが、皆さまは4つの歌をどう評価されるだろうか。

5/10 愛の孤独から

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