今年の年末年始はコロナも落ち着いていて、まわりの何人かの人は羽を伸ばして楽しんだようだ。私もその一人であるが、昨年一昨年と不安な年末年始でいつもの正月が迎えられなかっただけに(それが重要かも)、喜びがひとしおであった。
それから流行語になっているのだろうが「押す」と言う言葉を最近良く聞く。「生き甲斐」とか「本物の感覚」というか、その裏には健全な何かがあるようにも感じる。ひょっとしたら自然災害やコロナ禍をくぐり抜ける私達の魂の叫びかもしれない。そして、それは本当の喜びというか明るい感情を指向しようとしているのかもしれない。
さて、感情に関して「暗い感情」が人間の本質か、「明るい感情」が人間の本質かという重要な問いかけがある。暗い感情というかストレス曲線は理想と現実のギャップと考えれば分かりやすいが、明るい感情は何だろうか。昔ある人が理想より現実がうわまった感謝の状態ということを言われたことを思い出したが、理想とか現実の問題はさておいて感謝の状態というのは明るい感情と密接に繋がるかもしれない。
明るい感情。例えば友好的感情を考えてみると、怒りという暗い感情と感情の質が似ている反対の感情のように思える。夫婦げんかは犬でも喰わないということわざがあるが、怒りと友好的感情は結構微妙に変化し他人が口を挟むべき問題ではないようだ。他にもウツと幸福感、錯乱と統御感・・質的に似ていて反対の感情がある。
そんなことを思い巡らすと。本当の明るい感情は感謝の状態に関係し、暗い感情から派生する感情と言えるのかもしれない。そして人間の感情の本質は暗い感情なのだろう。
正月。これを冬至のまつりと考えると、冬至の祭りは日本だけでなく世界的規模の祭りのようである。祭りであるので個人的な楽しみと宗教的な楽しみが含まれる。そして、世界的なので起源は人類がアフリカを出立する以前の10万年とか20万年前に遡れるかもしれない。
現代人は現代的な暦とか時計になじんでいて冬至を記号のようにしか感じられないが、縄文の勉強をしていたせいで、夜空に親しみ昼の太陽の位置を意識すると暦や時計がなくても二至二分などは簡単にわかるのではと最近思うようになってきた。
そして、微妙な天体の運行の中に前向きな解釈を元に怒哀から喜楽を生み出す。西行法師の有名な「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」も死を最上の喜びに解釈で変えている歌かもしれない。
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