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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

多様を受け入れるか、受け入れないか!?(五感・体感とストレス 7/10)

2015-09-21 | 第二章「五感と体感」

 U先生から、縄文時代の食事を再現する勉強会を開いたら?というご意見をいただき、ちょっと真面目に考えてみようかと。堅果類のどんぐり等を使っての食事など調査を始めた。実に興味が湧く。

 しかし、縄文時代の食をいろいろ勉強していくと、今とずいぶん違った価値観というか思想で食物を摂取していたのではないかなと思うようになる。たとえば、台所に行って、食材を見回しても、肉は豚、牛、鳥(ニワトリ)くらいだが、縄文時代の遺跡からは、その十倍くらいの動物の種類の骨が見つかっているようだ。狸やムササビまで食べたという。

 植物も、現代では、ホウレンソウ、レンコン、キュウリ、ニンジン、玉ねぎ、サツマイモ、・・・とまあ、何十種類か一年を通して食べるが、縄文時代の人は一説だと数百種類食したといわれている。まあ、現代の人と比べると、その食の多様性は信じられないくらいあったようだ。それを、管理し食事を考えたとなると、その知識は実に深かったと思われる。

 それから、人に関しても、縄文遺跡から障がいを持った方の遺骨が検出されている(弥生時代には無いようだ)。日本神話にはたとえばイザナミとイザナギの産んだ子供の最初はヒルコなのだが、どうも障がいを負ってうまれたようだ。イザナミ、イザナギの神話は後の世の中で作られた神話(例えば、弥生時代とか)のようであるが、縄文時代の神様に障がいのある神様がいたと考える歴史学者もいるようだ。まあ、食だけでなく、思想面でも縄文時代は多様性を受け入れてきた文化だったと考えても間違いは少ないと思う。


ところで、五感・体感をもち、感情をもち、思考し行動する私たち生命体は本来的にどうなのだろう。多様性の中に息づくほうが幸せか、何か選別を繰り返し多様性の反対に生きるのが幸せか。理屈はここではのべないが、私は多様性を受け入れたほうがはるかに良いように考える。どうだろうか?

五感・体感とストレス 6/10

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