毎日、いろいろな感情の中を暮らしているのだが、生き甲斐の心理学以前は、感情については激しい感情はとにかく殆ど意識しなかった。しかし、最近は貴重な情報を意識しようとしている。
さて、今日は、感情の分類でもちょっと珍しい、分類のことを考えている。以前、Kさんから教えていただいたが、聖書にも載っている憐みという単語の意味である。ギリシャ語ではスプランクニゾーマイというそうだ。これは、直訳すると、腹わたが動くという意味になるそうだ。(参考、加藤英雄著 神様ってすっごーい!! サンパウロ)
昔の私なら、そうかで終わるのだが、生き甲斐の心理学で学ぶ比較文化的な人間観に基づく分類というものがある。人は身体と心(生育史)と魂(宗教の領域)からなると仮定すると、例えばストレス(理想と現実のギャップから生じる感情)でも、身体からくるもの、生育史からくるもの、魂からくるものと分類できる。そして、この憐みを考えると、どうも魂からくるものかなと思うのである。
今日、一日の感情(久しぶりに一日、オフなので家にいて、本を読んだり、ネットを観たりしている)を振り返ってみたり、自分の書いた小説を読み返していると、この3分類はいろいろに出てくるようにも思う。
さっきまで読んでいた、メソポタミアの5000年近く前(縄文中期)につくられたギルガメッシュ。読んでいたらあるパラグラフが聖書のコヒレトの言葉にも似ているという指摘も(有名なところはノアの方舟だが)。
あなたの頭を洗い、水を浴びなさい
あなたの手につかまる子供たちをかわいがり
あなたの胸に抱かれた妻を喜ばせなさい
それが[人間の]なすべきことだからです (ギルガメッシュ叙事詩 矢島文夫著 ちくま学芸文庫 112P)
多分、縄文中期の日本の祖先も、同じような想いや感動を持ったのでは、そんなことを想い、ちょっと腹わたが動く感動が・・・ちょっと脱線したが、感情を3つに分類してみると、自分の今の傾向がすこしばかりかもしれないが意識されるようだ。
感動を考えてみる!(ストレスを再考する! 3/10)