縄文小説(まだ未完です)を書くにあたって、世界の神話をちょっとは勉強した。日本神話、古メソポタミアの神話、旧約聖書、ギリシャ神話、中国神話・・・その中で私がもっとも興味があることは、ヒトの霊性はどこからくるのか?それを古の世界各国のヒトはどのように考えたかである。
神があり、神と直接血の繋がりがあったり、なくても神が愛をこめて造ったのがヒト。そういう位置づけが全部のようだ。そうでない神話はあるのだろうか?
ヒトに備わる魂とか霊魂。それも、当然ながら神の属性と関係する。基本的人権とか、ヒトの尊厳とかを考えるとき、神仏とヒトとの関係に思いめぐらすとなんとなく掴めてくる。
さて、今朝は心理学者ロジャースの人格形成論を考えているのだが、厳密性を要求する人格形成論の文言の中には当然ながら、魂という言葉はでてこない。しかし、直接的経験などの概念を思索していくと、その先に何かが見えてくるようなのだ。
ヒトとは、身体と心(生育史とか精神という言葉で置き換えられることも)と魂からなる。これは欧米ではよく出てくる考え方のようだ。そして、日本人もヒトを考えるときにどこか、魂を想定しているのではと思うことが多い。まして縄文人は。
自分をどのように自覚するのか。それによって、いろいろ変わってくるように思う。
自分の傾向を考えてみる 6/10