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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

なんとなくある停滞感を思索する!(仕事とか家庭とか ① 1/10)

2015-05-03 | 第二章「五感と体感」

 65歳に近づくと、前期高齢者という誰かが決めた枠に近くなるのだろうか、市からのお知らせがいくつか来るようになった。ちょうど、自分の仕事や家庭、これからの10年などをぼんやりと考えていた時期でもあり、とっても刺激的であった(笑)。

 さて、今自分の中のネガティブな感情をいろいろ思索してみると、エリクソンでいうと、61歳からの絶望感、それから35歳~60歳の停滞感(年齢が決定的に重要というわけではないが)が、この2-3日浮かんでくる。特に最近は停滞感である。

 成人になると、仕事や家庭などでいろいろ責任を負い、それなりに何かをする。そういった時代にE.H.エリクソンさんはネガティブな感情として停滞感を挙げた。仕事をしたり家族での役割をしたり、最近では地域での役割・・・などは基本的に世話をし、世話をされる世界であり。その中で感じる躍動感もあるものの、反対にマンネリズムというか停滞感というものもある。

 さて、今日は憲法記念日。ちょうど、縄文から頭は、奈良時代とかに戻ってきていて、律令に関する本を読んでいた。無文字文化から国家として文字が導入されて使われ出す。何に一番先に使ったかは興味あるところだが、その中の一つは律令である。近江令から始まり、大宝律令でひとまず完成するようだが、10000年以上の縄文文化を持つ日本が、どのように律令をつくってきたのかは面白い。近江令とあるように、律(刑法)より先に令ができたのは、何か日本的かなと思う。

 そうした、古代。私たちの祖先は、時代の感情としての停滞感を感じつつ(中国や半島との脅威を感じつつ)、それをエネルギーに文字を導入したり律令をつくったりしたのだろう。そのあたりは素晴らしいと思う。ネガティブな時代の感情をポジティブに変えていく。素晴らしいと思う。これは個人レベルでも似ている。

 自分の場合はどうか。こうした時、頭であれこれ考えるのも大事かもしれないが、もう一つ祈りの世界に触れたり、敢えてのんびりすると閃くことがあるのも事実だ。今日は日曜日で、ひさしぶりにミサにあずかった(先週は風邪で寝込んでしまった)。祈りというのは不思議な扉を開いてくれるものだ。

仕事とか家庭とか 1/10

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