生き甲斐の心理学を学んできて、なるほどなと想うことは沢山あるが、私にとって一番は、自分の今ここに沸き起こるストレス曲線(不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱)を大事にすることにある。
今ここで沸き起こる暗い感情を、利用する技術(神秘的なところもある)といってもよい。
対人の現場でむっとしたとき、ふた呼吸くらい間を置いてから行動するとよいと言われたりするが、それも応用範囲の一つかもしれない。暗い感情を情動で流されてストレートに対応するのではなく、ひと呼吸おくのは理にかなっている。また、もっと余裕があるときは、そうした暗い感情をじっくり思索する。暗い感情は自分の身体に沸き起こったことで正直なものである。そして、それを、明るく解釈する修行をつむと、一味違う結果を生みやすい。
これには修行が必要で、自分の沸き起こる感情を自分だけのノートに倫理道徳を離れ、書き連ねてみることも良いと言われている。宣伝になって恐縮だが、勉強会に参加するのも良い。
ストレスの利用技術。これはライフデザインでも実に有効だ。
今日は、自己事例ではなく、持統天皇の例を考えてみたい。日本の現在の骨格(律令制)ができた7〜8世紀のころに大活躍したのが、持統天皇(女帝)であるが、どのようなストレスを持って政治・人生を歩まれたのだろうか。
持統天皇は、恐らく日本の歴史上で最大級の権力を持ち、現代の政治にまでも影響力を及ぼした実力派天皇で、夫である天武天皇と壬申の乱の勝利し、天皇家の内紛の沈静化しつつ、大宝律令(律令制の基礎)を実力派の藤原不比等を抜擢し実現する。新羅や唐との外交、記紀成立や伊勢神宮、薬師寺を初めとする保護など基礎を作った中心メンバーだと思う。
その中で今日お話したいのは、万葉集である。万葉集は、良く調べてみると持統天皇の影響が非常に強いと思う(持統天皇、元明天皇(持統天皇の息子・草壁皇子の妻)、元正天皇(元明天皇の娘)の関与)。
しかし、驚くのは、持統天皇が暗躍し犠牲になった、大津皇子や大伯皇女などの歌も収録していることである。
うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟(いろせ)と我が見む (大伯皇女)
実際には、どうだったかよくわからないが、ストレスの本質を単に情動で捕らえるのではなく、深く思索する、本当の意味での鎮魂の歌集なのかもしれない。そして、それは暗い感情を昇華していく過程を表しているのではないだろうか?人に殺されるのは誰が見ても同情を誘う受難であるが、人を殺す側にとっても、後日の体験の解釈と行動によっては、一つの同情を誘う受難になると思う。
白村江の戦いから壬申の乱の戦友であり、愛する夫でもあった天武天皇を亡くした直後に、やはり白村江の戦いからの戦友であり、非常に深い姉妹関係であった太田皇女の息子、大津皇子を死に追いやる。これは、持統天皇にとって受難であったように思う。その中で、何が失われ、何が生まれたのか。この再生のストーリーは今後も勉強していく価値がありそうである。
新ライフデザイン 8/10