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シンボルフラワー/沙羅
山陽花の寺の象徴花として、「沙羅の花」を定め、二十四か寺境内に植樹をします。沙羅は、平家物語冒頭の「沙羅双樹の花の色…」で知られ、仏教三聖木(沙羅・無憂樹・菩提樹)を代表する落葉高木です
第22番 棲眞寺(せいしんじ)
由来、歴史、概要
臨済宗妙心寺派の寺院。標高380mの應海山の中腹にあります。開基は承久元(1219)年です。
源頼朝の家臣・土肥実平が中国5か国の総追捕使に任ぜられ、備後に勢力を築きます。その後、頼朝の子女が息子・遠平に嫁いできましたが、夫人は若くしてこの世を去ります。その3回忌にあたり、実平は追善供養のため、この地に七堂伽藍を建立。千手観音の尊像を安置し、夫人の冥福を修することにしました。これが棲眞寺の起こりです。
弘安2(1279)年、名僧・白雲恵暁禅師が住持となるに及んで法灯は輝きを増し、寺運が繁栄します。興亡盛衰を経て400年の後、無住が20年余り続き、寺は荒廃しましたが、寛文2(1662)年、近江出身の仲芳禅師が寺を再興。法灯は往時の輝きを取り戻します。明治時代の廃仏毀釈で廃寺の憂き目に遭いますが、地元信徒の尽力で再興し、法灯を継ぐことができました。
観音堂に安置されている本尊千手観音像は鎌倉時代の慶派作と思われる、三原市重要文化財です。また、眷属の二十八部衆のうち13体が現存し、広島県重要文化財に指定されています。いずれも桧材の寄せ木造りで玉眼入り、力強い作風で鎌倉時代の特徴を示しています。
このほか、頼朝の側室・妻木姫が着用したとされる打ち掛けなども所蔵しています。
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