二代目の 兄弟船は 雪唄で
(この背景は、以下に
記載致しました)
令和7年、
2025年7月4日(金)報道より、、
(校正あり、、)
世界的な、昭和歌謡曲の大ヒットを背景に
最近、若手歌手の台頭が
目立つ演歌歌謡曲界、、
オリコンシングル総合ランキング
Top20にも、演歌歌謡曲歌手が
年間50組以上も登場する
一大勢力、、
中にはオリコン総合Top3どころか
週間ランキング首位まで獲得する
演歌歌謡曲歌手グループまで
登場する始末、、
そんな背景の中、
今回取り上げるのは
この人、、(たち)、、
木村徹二 の 現時点最新楽曲、
デビュー3作目の
「雪唄」は、
オリコン週間売り上げランキング
でも、
総合ランキングで
自身初の 総合 ランキング
トップ10入り、
現時点での最高位
第9位
(なお、演歌歌謡曲部門
週間売り上げランキング
では最高位 第1位) を
現時点での記録し、
現在も毎週毎週
週間シングル総合売り上げ
ランキングトップ100に
チャートインし続けている
好調ぶりだ、、
兄・木村竜蔵が作詞作曲した
この曲は
ポップスのマナーを取り入れた
バラード歌謡で、
演歌の枠を超えてその魅力が
波及し、多くのリスナーを獲得。
これを受けて2025年7月9日には、
亡き祖父の思い出をテーマにした
「湯呑み酒」と、
父親である鳥羽一郎の「鯱」の
カバーをカップリングに収録した
「雪唄【特別盤】」も
発売されることになった。
この若き演歌歌手、木村徹二。
デビュー曲 二代目
でいきなりオリコン売上
チャートイン最高位40位、
二作目 みだれ咲き
初Top20入り最高位17位獲得。
そしてデビュー3作目の
「雪唄」。その売上の
絶好調ぶりから、
鳥羽一郎とその弟の山川豊、
そして木村竜蔵と木村徹二の
4人による
ファミリー座談会が企画された。
演歌一族である木村家ならではの
エピソードや、
普段のステージからは
知ることのできない
それぞれの性格、
そして音楽への思いなどについて、家族だからこその距離感で
フランクに語り合ってもらった。
、、家族仲がそのまま出たステージ、、
鳥羽一郎
こんなふうに
この4人がそろって出る
というのは、
今までほとんど
やってきていないんですよ。
竜蔵くんとテツ(徹二)は
竜徹日記をやってるし、
俺と豊が兄弟で出るパターンも
ありましたけど、
4人そろって というのはね。
山川豊
今年2月に
日本橋三井ホールでやった
「木村家ファミリーコンサート」
が初でしたね。
なんだか、自然体で臨めたショー
でしたよ。
楽屋の雰囲気そのままで
ステージに上がって、歌を歌って、
というような感じでね。
鳥羽一郎
「楽しかった」というお声を
たくさんいただきました。
最初に「二代目」のイントロが
かかって、
徹二が出てくるのかと思いきや
俺が出てくるっていう
サプライズ演出もあったりね。
こういうのは珍しいパターン。
木村徹二
僕のところにも「楽しかった」
「またやって」という声が
すごく届いています。
地方とかに行くと
「東京だけじゃなく、
こっちでもやってよ」
と言っていただくことも多くて。
やっぱり山川豊さんも
おっしゃったように
楽屋の空気感というか、
普段の家族仲のよさが
そのまま出ているような
ステージだったので、
それを楽しんで
いただけたんだろうなと
思いますね。
木村竜蔵
いい意味で力が抜けた、
堅苦しくない
ナチュラルさがあって。
それが心地よかったですね。
楽屋の雰囲気そのまま、
とまでは僕は言わない
ですけど(笑)。
山川豊
1人で立つステージとは
全然違ったね。
木村徹二 違いましたねー。
鳥羽一郎
トークに関しても
台本があってないようなもので、
何が飛び出すかわからない
というね。それがよかったのかな。
山川豊
出てきたものに
みんなが合わせる。
家族ならではの阿吽の呼吸
というか、
なんとも言えない感覚が
ありましたね。
鳥羽一郎
ほとんどテツが
仕切っているような感じ
だったんで、
バランスがよかったのかな。
俺と豊が2人でボケてる
みたいなね(笑)。
山川豊
僕らがボケて、
テツがツッコミ担当。
木村徹二
やっぱり自分が
年齢的にも経歴的にも
一番後輩にあたるので、
先輩にかき回してもらったほうが
やりやすいというのはあります。
僕がツッコまれてたら
怒られてるみたいに
なっちゃうし(笑)。
親父(鳥羽一郎)も(山川)豊さんも
普段のコンサートでは
見せないようなふざけ方を
するんで、
お客さんからは
「鳥羽さんと山川さんって、
こんな人だったんだ?」
という声が多かったですね。
「ああいう2人の姿を見れて
よかった」って。
、、あれは俺の間違いだったね、、
木村徹二
自分のコンサートのMCでも
ずっと言い続けてるんですけど、
家庭環境に恵まれたな
とは思っています。
豊さんと親父はもちろん、
僕のデビューまでの経緯や
デビュー後の流れに関しては
兄貴が9割方考えて
やってくれているので、
そのありがたさは
常にすごく感じていますね。
ただ、周りからよく
「そんな環境に生まれて、
どんな感じなの?」
と言われることも多いんですけど、
ほかがわからないので……。
木村竜蔵
よその家に生まれたこと
ないもんな。
木村徹二
そうそう(笑)。
小さいときから
親父も豊さんも
普通にテレビで歌ってたし、
兄貴も僕が中学生くらいのときに
デビューしてるんで、
身近な存在が
メディアに出ているのが
当たり前という環境で
育ってきたんですよ。
だから自分も
この世界にスッとなじめたのかな、という気はしています。
鳥羽一郎
テツに関しては、
子供の頃から
「この子は演歌を歌ったら
いいんじゃないか」
と思ってはいたんだよ。
なんかこう、心地いい
コブシの感覚が
小さいときから
自然に備わっていて……
このコブシだけはね、
教わってできるもんじゃ
ないからね。
持って生まれたものだと思うんだ。
山川豊
テツが大学生のとき、
兄貴が
「演歌でデビューしたらいい」
って言ったんだよね?
鳥羽一郎
うん、
「デビューするなら今だよ」と。
あれは俺の間違いだったね。
木村徹二 (笑)。
鳥羽一郎
“現役の大学生が演歌を歌う”
ってのは、
あるようであんまりないパターン
なんだよ。
だから「やるなら今じゃないか」
と言ったんだけど、
彼は大学を卒業してからでも
遅くないと
思ってたんじゃないかな。
で、結果的には
そっちが正解だった。
木村徹二
兄貴が一生懸命
止めてくれたんですよ。
それがなかったら、
大学生のときに
デビューしてたかもしれないです。当時の僕の技量を
冷静に判断したうえで、
「“大学生演歌歌手”
という肩書きがなくなったときに
何が残るのか」
というのをすごく説いてくれて。
兄貴はずっと昔から
いろんなことを
僕より先に経験して、
噛み砕いて
道を示してくれる存在だったんで、
ここは従っておこうと(笑)。
木村竜蔵
一番は「潰したくない」
という思いでしたね。
ちょっと生意気なことを
言いますけど、
僕は子供の頃から
演歌の世界をずっと見てきて
「動きの鈍い業界だな」
と感じていたんです。
だからデビューするにしても、
彼自身が
セルフプロデュースできるくらいの
地力を確立してからじゃないと、
たぶん潰れちゃうんじゃないかな
と思っていました。
歌の才能は間違いなくあるから、
いつか花開くだろう
とは思ってましたけど、
そのときはまだ「今じゃないな」
という感じでしたね。
兄と僕の性格を
半分ずつ受け継いでるんですよ
鳥羽一郎
テツの歌には、
そんなに背伸びをしない
自然体の感じがあるよな。
仕事の取り方もそうで、
あまり派手にではなく
地道にやっている。
まあ、それが
演歌のパターンではあるんだろう
けど、
今は足元を固めている段階でも
あるし、
このまま進んでいけばいいのかな
と思います。
それと、なんていうかな……
人様にかわいがられるタイプ
なのかな、という。
山川豊 そうだね。
鳥羽一郎
例えば地方のキャンペーンは、
普通は一度行ったら
1年くらい間隔が空くもの
なんだけど、
「来週またおいでよ」みたいに
言われてたりね。
本人もやる気満々で、
「お客さんと触れ合うのが楽しい」
って言うんですよ。
これはちょっと、
俺たちの感覚には
ないものだよな。
山川豊
僕らが若い頃は、
キャンペーンが嫌で嫌でね。
鳥羽一郎
嫌でしょうがなかったよな。
木村徹二 わははは。
鳥羽一郎
「また夜キャンかよ!」とかさ。
山川豊
「休ませてくれよ!」ってね。
鳥羽一郎
テツはそうじゃないからね。
これはもう性格なんだろうなあ。
木村徹二
性格でしょうね。
人と触れ合うことがもともと好きなんです。
山川一郎 たぶん、
テツは兄と僕の性格を半分ずつ受け
継いでいるんですよ。
どっちかというと
僕はコツコツやるほうで、
兄はいきなりステージに
ドーンと出ていって
観客を魅了してしまう。
テツはその両方の性質を
兼ね備えている感じがします。
木村竜蔵
僕から見ていてもそう思います。
歌っているときは
すごく本能的というか、
理屈ではなく魂で
ぶつかっていく感じは
親父譲りだと思うんですけど、
ひとたびステージを下りたときの、共演者の方々と
フレンドリーに接している感じは
豊さんそのものだなって。
山川豊 ああ、なるほどね。
木村竜蔵
しかも意識的に
そうしているわけじゃなくて、
ナチュラルなんですよね。
まさに2人を見てきたから
培われたもの、
血の中に入っているもの
なのかなと。
鳥羽一郎と山川豊が
フュージョンしたのが彼、
みたいな感じです(笑)。
木村徹二
その感覚は自分でもありますね。
歌っていて2人の血筋を
感じることは多いというか、
むしろそれしか感じてないです。
声質は豊さんの
まろやかで優しい成分を
すごくいただいていますし、
発声に関しては
父の遺伝子を受け継いでるなって。あと、こないだ三山ひろしさん
から指摘されて
初めて気付いたんですけど、
僕、歌ってるときに
足をバタバタさせるクセが
あるみたいなんですよ。
それが親父とまったく
一緒らしくて。
鳥羽一郎 はははは。
木村徹二
「なんだその似方?
気持ちわる!」と思って(笑)。
父のそのクセ自体も
知らなかったですし、
自分でも無意識だったので、
これはもう遺伝という以外に
説明できないですよね。
そういう土台にプラスして、
兄貴に歌手としての見せ方
みたいなところを
鍛えられてきたことで
今の僕がある、という感覚です。
木村竜蔵
偉大な2人から
受け継いだ素質が彼にはあって、
その“使い方”を
僕なりに助言してきたような
イメージです。
言うなれば
ピッコロ的な立ち位置ですね。
木村徹二 僕が孫悟飯で(笑)。
、、演歌界がもっと活性化してほしい、、
鳥羽一郎
よく「息子の徹二さんに
何かアドバイスは?」
みたいなことを
聞かれるんだけど、
歌のことに関しては
あんまりとやかく
言わないんだよね。
ああしろこうしろ言うのが
あんまり俺は好きじゃないし、
なんのアドバイスもないわけよ。
テツの売り出し方に関しては
(木村)竜蔵くんの作戦も
いろいろあるだろうからさ、
自分たちのやりたいように
やればいいのかなって思うし。
山川豊
デビュー曲の「二代目」、
2曲目の「みだれ咲き」と
王道演歌が2曲続いて、
3曲目に演歌とは違う路線の
「雪唄」を出したわけじゃない?
僕のごくごく個人的な意見
としては
「もう1曲演歌を聴きたかったな」
というのはあったんだけど、
これが今兄貴の言った
“竜蔵くんの作戦”なわけでしょ。
木村竜蔵
そうですね。
僕はやっぱり2人の演歌を聴いて
育ってるんで、
演歌界がもっと活性化して
ほしいんですよ。
じゃないと、
この素晴らしい文化が
なくなっちゃいそうな
気がしたんで。
ただ、いきなり新しいものを
提示するだけだと
拒否反応が起こりやすいから、
段階を踏んで
少しずつ演歌とは違う
エッセンスを加えていこう、
というのはデビュー前から
考えてはいました。
この「雪唄」みたいなものが
普通に「演歌だ」と
受け入れられる世界観が
できていったら、
もう少し演歌という文化が
縦にも横にも
広がっていくんじゃないかなと。
木村徹二
兄貴は「木村徹二を売ろう」とか
「自分が作曲家として
名を上げよう」とか、
まるで思っていない人なんですよ。俯瞰でものを見て、
「演歌を絶やさないように」
というところを
根底に持ってやっている。
木村竜蔵
そういうことを
普段から話し合ったりは
全然していないんですけど、
彼はおのずと
汲んでくれているんですよね。
木村徹二
僕はその大義を果たすための
駒の1個でいいのかなと
思っていて……
って言うと
否定的に捉えられちゃうことも
多いんですけど、
兄貴の作る曲には
本当に世の中を変えるパワーが
あると思うんです。
「僕以外の人が歌ったら
もっと売れる可能性も
あるのかな?」
と思ったりもするんで、
曲の持つ力を
最大限引き出せる歌手に
ならないといけないなっていう。
その結果として
演歌界をいい方向に
変えられる可能性があるなら、
僕はそのためのパーツの1つ
として機能できればいい、
という考え方ですね。
木村竜蔵
僕の考えていることを
彼が肉体的に
実現してくれるという、
合体ロボのような
システムで(笑)。
親父と豊さんを見ていても、
全然キャラクターも芸風も
違うのに、
すごく通じ合っているものが
あるのをよく感じるんですよ。
それに近いことが
僕ら兄弟の間でも起きているので、
なんか不思議な感覚はありますね。
、、どうだ、木村竜蔵の曲は難しいだろう、、
山川豊
その感覚がわかるから、
今回の僕たちのデュエット曲
(2024年12月にリリースされた
鳥羽一郎・山川豊
「俺たちの子守唄」。
作詞作曲を木村竜蔵が
手がけている)も
作れたんだろうね。
なんでこんなに
僕らの思いがわかるのかな?
と思ってたんです。
「海女小屋」って
フレーズが出てくるんだけど、
歌っていると、
学校へ行かずに
母親のいる海女小屋へ行って
迷惑をかけていた記憶が
ぶわーっとね……すごかった。
見事すぎて、鳥肌モンでしたよ。
木村竜蔵
詞はすごく2人に
寄り添ったつもりなんですけど、
たぶんメロは歌いづらかった
と思います(笑)。
鳥羽一郎
演歌にはあまりないような
譜割でね。
拍の裏から入ったりするのって、
演歌の人は得意じゃないんだよ。
山川豊
僕ら、楽器で
キッカケをもらわないと
歌えないんですよ。
今回のように
自分でリズムを取って歌う
というのは、
兄貴にとっても
僕にとっても新しい挑戦でしたね。楽器に頼らず、
体で覚えていかないと
いけないっていう。
木村竜蔵
特にサビのシンコペーションで
掛け合うところが
顕著なんですけど、
リズムの考え方が
まったく演歌的ではないんですよ。
ポップス的というか、
ジャズやロックに近い。
でも、徹二にも
そういう曲を歌ってもらってる分、
2人にもチャレンジを
してもらおうかなっていう。
木村徹二
「どうだ、木村竜蔵の曲は
難しいだろう」
と思いながら見てます(笑)。
山川豊 はははは。
木村徹二
でも、その難題に取り組む
2人の姿勢には
学ぶところが多くて。
レコーディング現場に
見学に行ったんですけど、
普段歌い慣れていないメロディに
苦戦しながらも、
2人とも「この程度でいいか」
では絶対に済まさないんですよ。
詰めて詰めて
「もう1回録ろう、
もう1回録ろう」の繰り返しで。
このキャリアで
そこまで突き詰めた
レコーディングができるのも
すごいし、
自分もこうでなきゃいけないな
と痛感させられました。
鳥羽一郎
レコーディングのときは
豊の体調面の問題も
あったんだけど、
どうも歌声が
胸に迫ってこないわけよ。
それで俺が
ちょっとわがままを言って、
「いや、もうちょっと
うまく歌えるだろう!」
「もう1回やってみな!」ってね。いい歌なんで、
完璧に仕上げたいという思いも
あって。
山川豊
やっぱり詞がいいんで、
気持ちが入りすぎちゃう
ところがあってね。
頭ではわかってるんですよ。
「詞に酔いすぎて、
技術にまで気を回せていないな」
というのは。
そこをどうにか
乗り越えていい歌が録れたので、
根を詰めてやってよかったな
と思いましたよ。
、、木村家が演歌界を牛耳っていく、、
鳥羽一郎
俺と豊が2人で
歌うっていうのは、
ありそうでなかったことでね。「NHK紅白歌合戦」のステージで
俺の「海の匂いのお母さん」を
一緒に歌う機会なんかは
あったけども、
2人のデュエット曲を出す
というのは今回が初めてで。
豊が日本クラウンに移籍して、
レコード会社が同じに
なったことで実現したんだけども。
木村竜蔵
子供心に
「なんで一緒に
やらないんだろう?」
というのは
ずっと思ってたんですよ。
「2人が合体したら
絶対に強いのに!」
というイメージは
ずっとあったんで、
今回ようやくあるべき姿を
形にできたなという感慨は
あります。
山川豊
事務所やレコード会社の
事情なんて、
子供にはわからないからね(笑)。僕らが若い頃なんて、
会社が違えば兄弟だろうが
関係なくバチバチでしたから。
歌手として世に出るためには、
それくらいの覚悟が
必要ってことですよ。
そういう経験をしてきた我々
からすると、
今のテツは大事な時期だと
思いますね。
勢いが出てきているので、
ここでガーンと行かないと。
世間はいつまでも
待っていてはくれないですから、
大事なのは今ですよ。
テツだけががんばっていても
ダメで、
周りのみんなが一丸となって
この勢いに乗っていかないと
いけない。
木村徹二
僕としても、
どうせ出るんだったら
1人よりも
みんなで出たほうが面白いかな、
という気持ちはあります。
山川豊
応援に行きますよ。
テツが歌ってる後ろで
大漁旗を振ったりとか(笑)、
そのくらいのことは
いつでもします。
木村徹二
いやいやいや、
応援というか(笑)。
今度、「NHKのど自慢」にも
2人で呼んでいただいてる
じゃないですか
(※2025年7月6日の放送回に
山川と徹二がゲスト出演予定)。
山川豊
「のど自慢」に一緒に
出られるというのはね……
今はどうかわかりませんけど、
僕らの時代は
歌手にとって
1つのバロメーターになる
番組でしたから。
鳥羽一郎
そう。
もちろん「紅白」もだけど、
「のど自慢」に出るというのも
1つの大きな目標でしたよ。
今は地上波で
あんまり歌番組というものが
ないじゃないですか。
演歌歌手がお茶の間に
存在をアピールできる
貴重な場になってるんで、
その番組に
デビュー3年目ぐらいで
出させていただける
というのはね……
まあ弟も一緒ということで、
心強いとは思うけどね。
木村徹二
僕が番組に
呼んでいただけるよう、
陰で尽力してくださった
スタッフさんが
たくさんいらっしゃるんですよ。
彼らの期待を
裏切るようなことは
したくないですし、
がんばらなきゃなとは
思うんですけど、
すべての現場で心がけている
“楽しむこと”を
まずは大事にしたいなと
思っています。
それがお客さんにも伝わると
僕は信じているので。
山川豊
繰り返しになりますけど、
テツの歌は
今じわじわ“来てる”んですよ。
それを僕らも
肌で感じているんです。
あとひと押しだなっていうね。
「のど自慢」は
その“ひと押し”になり得る場だと
思いますね。
鳥羽一郎
弟がこうやって
テツを臆面もなく
持ちあげてくれるのは、
すごくありがたいんだよ。
俺はほら、親子だからさ、
あんまり
ヨイショもできないし(笑)。
親父が言うのは
はばかられることでも、
叔父さんが言う分には
そんなに気に障らないじゃない。
木村竜蔵
親父は子育てのスタンスも
こういう感じなんですよ(笑)。
放任主義というか。
木村徹二
で、やっぱり最終的には
4人で「紅白」に出たいですよね。
親父や豊さんが
「紅白」で歌う姿は
子供の頃から
誇らしい気持ちで観ていましたし、普段演歌の番組を観ない
クラスメイトたちも
「紅白」だけは観てましたから。
あの場に4人がそろいの衣装で
立つことが
“木村家の完成形”なのかな、
とは思っています。
それ以上望めるものは
ないんじゃないかなと。
木村竜蔵
木村家が演歌界を
牛耳っていくと思います。はい。
鳥羽・山川・徹二 (笑)。
木村竜蔵
日本クラウンも
乗っ取りますから。
山川豊
それ、クラウンの社長が
冗談で言ってたんだよね(笑)。「木村家に乗っ取られるー!」
って。
木村竜蔵
でも真面目な話、
世間の皆様から見て
「芸能界で仲のいい家族
といえば?」で
最初に思い浮かぶのが
我々になってくれたら
うれしいな、
という思いはありますね。
そうなったら、
やっててよかったなと
思える気がします。
記事中、記載のランキングは、
断りなき限り、以下を示します。
オリコン週間 総合シングル
ランキングで獲得した最高順位
と、同ランキングTop100
ランクイン登場週数
↑登場回数が多いほど
ロングセラーゆえ、
長い期間 同曲の
累積売り上げ枚数が
加算されていることを示す
ロングセラーのバロメータです、、
プロフィール
鳥羽一郎(トバイチロウ)
昭和27年、1952年生まれの
演歌歌手。
三重県の漁業の盛んな街で
漁師の父と海女の母の間に生まれ、
17歳から遠洋漁業の
マグロ船やカツオ船の漁船員を
5年間務める。
その後、調理師免許を取得して
板前の修業をするが、
歌手になるため27歳で上京し、
船村徹の内弟子に。
約3年間の修行を経て
昭和57年、1982年8月に
「兄弟船」(最高位34位58週)
でデビューを果たす。
1998年には「龍神」で
「第40回日本レコード大賞」
最優秀歌唱賞を受賞。
漁船海難遺児育英会への
チャリティ活動を
昭和63年、1988年から
続けており、
これまでに何度も紺綬褒章を
受章している。
紅白歌合戦にはこれまで
現時点で 20回出場している。
山川豊(ヤマカワユタカ)
昭和33年、1958年生まれ、
三重県出身の演歌歌手。
兄は演歌歌手の鳥羽一郎。
昭和56年、1981年に
「函館本線」
(最高位41位48週)でデビューし、
昭和61年、1986年に
「ときめきワルツ」で
「NHK紅白歌合戦」に初出場した。
1998年リリースのヒット曲
「アメリカ橋」
(最高位37位80週)は、
その後発売された
「ニューヨーク物語り」
(最高位35位15週)、
「霧雨のシアトル」
(最高位41位9週)とともに
“アメリカ3部作”として話題に。
デビュー35周年を迎えた
2016年発売の両A面シングル
「再愛 / 蜃気楼の町から」
(最高位21位21週)は
「第49回日本作詩大賞」に入賞、「第58回輝く!
日本レコード大賞」では
日本作曲家協会選奨を受賞した。
また演歌歌手のほかに
ボクサーとしての顔も持ち、
プロボクシングトレーナーの
ライセンスを保持している。
紅白歌合戦にはこれまで
現時点で 11回出場している。
木村竜蔵(キムラリュウゾウ)
昭和63年、1988年
11月29日に演歌歌手・鳥羽一郎の
長男として生まれ、
幼い頃から音楽や
エンタテインメントが
身近にある環境に育つ。
高校在学中の2006年に
インディーズで初作品となる
シングル
「愛しい人よ / Flower」を発表し、
ライブ活動を続けながら
音源を発表。
2012年9月に
クラウンレコードから
ミニアルバム
「6本の弦の隙間から」で
メジャーデビューする。
2013年1月に1stシングル「舞桜」
を発表し、
その後に全国各地の桜の名所で
弾き語りライブを敢行。
2014年4月に
恋愛をテーマにしたミニアルバム
「恋愛小説」、
2015年6月に初のフルアルバム
「碧の時代」をリリースした。2016年に弟・木村徹二との
ポップスデュオ・竜徹日記を結成。
(ただし、歌手木村竜蔵としての
作品群の、オリコンランキングへの
チャートイン記録は、無し)
美川憲一、水森かおり、
山口かおる、城之内早苗らに
楽曲提供を行い、
作家としても注目されている。
木村徹二(キムラテツジ)
1991年7月11日に
演歌歌手・鳥羽一郎の次男として
生まれる。
幼い頃から演歌に惹かれ、
高校生時代から
多くのステージに立つようになり、
2016年に実兄の竜蔵に
誘われる形で
兄弟ポップスデュオ・竜徹日記
を結成。
2022年11月にシングル
「二代目」を発表し、
演歌歌手として
ソロデビューを果たす
(最高位40位、60週間
ランクインロングセラー)。
2作目2024年2月にシングル
「みだれ咲き」を発表
(初20入り最高位17位、40週間
ランクインロングセラー)。
2023年放送のTBS
「第65回輝く!
日本レコード大賞」では
新人賞を受賞した。
2025年2月に
3rdシングル「雪唄」をリリース
(記事掲載時点、オリコンシングル週間総合ランキング初10入り、
最高位9位、現在も
Top100ランクイン登場20週目の
ロングセラー現在進行中)。
、、、
再掲載
楽曲名から川柳にしてみました、、
二代目の
兄弟船は
雪唄で