新 ノ 城  Okinawa

おきなわを サラ・さらっと 視る

  

与那国島の祭&祀【1】

2018年05月20日 00時02分06秒 | 日記

  与那国島は

八重山諸島の西端に位置する日本最南西端で

行政区分は、沖縄県八重山郡与那国町

 

沖縄本島から約520キロ

石垣島から127キロで

面積28,95k㎡、周囲約27,5キロ

人口1、706人、所帯数928(H29年12月31日現在)

 

祖納(そない)、久部良(くぶら)、比川(ひがわ)の

三つの集落から、与那国町となっている

 

晴れた日には台湾(111キロ)が見える

国境の島である

 

八重山諸島の中でも

独特の自然・文化・歴史を有している

祭事・芸能・工芸品・食などの伝統が継承され守られている

 

代表的、祭と祀の行事は

十六日祭・海神祭・豊年祭・旧盆祭・金比羅祭・節祭などがある

 

これらの祭りで、語り継がれ、歌い継がれ、踊りつがれている

 

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ユタ 【3】

2018年05月15日 00時02分06秒 | 日記

  ユタは公的祭祀など行わないが

神に仕え、神と交信し

霊障や病気、冠婚葬祭、御願事などの問題を中心に助言を行い

また公徳心や道徳を説く事が多いが

教義、戒律などはない

 

ユタは毎日の生活の中で神と人々を結びつける存在であり

また沖縄の人々もユタを、病気、事故などの時にはユタに頼っている

 

また一方では人々の弱みに即けこんで、金儲けをする者が多い

現在でも多数存在していると言われる

 

ユタの存在は世間を惑わす者、迷信、後進的、国の障害と捉え

時の権力者から幾度も弾圧摘発を受けた

 

琉球国行政官の祭温によるユタ禁止令

明治時代、地域でのユタ禁止令

大正時代のユタ征伐運動

昭和初期の戦時体制化のユタ弾圧

これらの時代、ユタは違法的存在として

警察権力の拘束、抑留されるなどしている

 

これらの受難時代を経て現在もなおユタは存続して

ユタにまつわる事件は今も起こっている

 

精神的に弱っている時、問題を抱えている時には

ユタに問題を解決を求め、ユタコーヤ(ユタを買う)をする

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ユタ 【2】

2018年05月10日 00時04分43秒 | 日記

  ユタになる運命は、生まれた時から決まっていると

信じている沖縄の人々は少なくないと

桜井徳太郎は述べている

 

彼が面接した、ユタも例外なく

ユタに成るのは宿命であったと答えている

 

その資質はグソ(あの世)の祖霊・神霊などと

交渉が出来ると信じている

 

サーダカ ンマリの素質は神に

選ばれた者のみに与えられるとユタは信じているが

ユタは最初から、選ばれていると思っていると

思っているのではなく、ユタ職を積み重ねるうち

次第に形成されていくのである

 

沖縄では幻覚症状を伴った無意識行動を取ることを

ターリィと言いその内容が神事

神々に関係がある場合にはカミダーリィと言う

 

しかし夢遊病者的行動に出るのは

神の導きによって生起すると見られるので

ターリィ全般を、カミダーリィと言う事が多い

 

このカミダーリは、精神病者である、フリムン(狂人)

フリトーン(者狂い)、フラグァ(頭がおかしい)とは

区別されている

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ユタ 【1】

2018年05月05日 00時02分36秒 | 日記

  ユタとは、主に死霊(祖霊)などの憑依を受け

トランス(入神状態)に入り託宣を語る者を

「ユタ」と呼ばれた

 

ノロ(神女)は公的祭祀・神事を行うが

ユタは個人、家族、部落、地域や私的な

御願事や運勢・病気などの指針的信仰に関与している

 

ユタに成る者は必ず

カミダーリィと呼ばれる原因不明の病気が伴う体験をする

 

そのためカミダーリィと成った者は悩み苦しんだ末

ユタに判断を求め、ユタになる指針の指導を受け

ユタに成る事を決心する

 

ユタの語源はユンタク(おしゃべり)

または神がかりのとき、体がユタめく(揺れる)事から

名が付いたと言われている

 

ユタと言う職者の成立は

ノロなどの神人から分化したと言う説を

伊波普猷は唱えている

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祭&祀 【11】

2018年05月01日 02時21分41秒 | 日記

  ノロは、家族や私的な幸福を祈願するのではなく

各地域、村落、国家の安泰、繁栄、豊穣などを祈願する

 

ノロは、祭祀、神事を執り行う時

神を自身に憑依させる依り代と成る事が存在の意義のため

 

他の宗教のように民衆を啓蒙する教義や戒律などは存在しない

 

また御嶽(拝所)にイビ石などに向かって

神体として崇拝しているが

いわゆる、憑依された依り代にたいする尊拝で

偶像崇拝ではない

 

ノロは処女性を問わないが、既婚か独身か年齢条件などは確認される

 

最高位のノロである聞得大君の二代までは生涯独身であった事や

ノロ、阿応理屋恵も生涯独身だったと云う記録もある

 

そのため以前は処女性が条件だったと、考える説もある

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祭&祀 【10】

2018年04月25日 00時02分04秒 | 日記

 ノロは世襲制で、ノロ殿内(ヌンドゥンチ)の家系から出る

各地域を統治している、按司(国衆)の肉親(妻・姉妹)がなる

 

この背景には「オナリ神」信仰に由来していると考えられている

 

新たなノロが就任にする時は

王府より任命、認証、儀礼があった

ノロは原則、終生職である

 

ノロは三代後、祖母から孫娘に霊威である、セジ(霊力)が

引き継がれると考えられている

 

ノロには決まった服装はないが

着流しの白装束であることが多く

 

頭には草を編んだ冠、神カンムリなどの

草装などが見られ

 

そうした異形の草束は

神が、ノロに憑依する事を意味している

また勾玉・金の簪も身に着けている

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祭&祀 【9】

2018年04月20日 00時02分09秒 | 日記

 ノロは信仰における、司祭、神官、巫で

地域の祭り(祭祀)を司り、御嶽(拝所)管理する

 

沖縄の信仰は

アニミズムと祖霊信仰を基本とするもので

 

海の彼方のニライ カナイと

天上のオボッカグラの他界概念を想定し

 

これらの他界に、ティダ神(太陽神)を始めとする

多数の神が存在すると考え

 

肉親の魂も死後に、ニライ カナイに渡って

肉親を守護神と成り人々を災難から

守護すると考えられている

 

宗教概念上、ノロは神々と交信することが出来

祭祀を司る時、その身に神を憑依し

 

神、そのものに成ると考えられ

そのため ノロは神人とも呼ばれている

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祭&祀 【8】

2018年04月15日 00時02分10秒 | 日記

  第二尚氏王統三代尚真王(1477~1526年)の治世

地方の按司(国衆)を首里に移住させ、武器を取り上げ

中央集権化体制化した

 

その時各地域に、以前からあった、拝所、祭祀、神事を

整理し「ノロ」の組織を、中央集権的に階層化し

「ノロ】と言う呼称、その時に神職の正式に名称として制定した

 

地域全体の「ノロ」を総括する

三人の大阿母志良礼(オオアムシラレ)

その上に、聞得大君をおいて琉球全土の「ノロ」、

神職の頂点に立つ存在である

 

聞得大君は、国王を守護し豊穣をもたらす「オナリ神」であり

初代聞得大君は尚真王の妹である

 

尚真王は政治を、中央集権体制化し

神職、祭祀制度を制定し階層化し

祭政一致の政策を行い、王権を盤石の基にした

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祭&祀 【7】

2018年04月10日 00時02分08秒 | 日記

 沖縄の全ての女性は、霊力があり

オナリ神に成ると信じられ

 

男は政治を行い、女が神に仕え、男を霊的に守護し、

祭と祀を司り、神託を受け、霊的に指導するという

 

祭政一致体制が行われ

沖縄の国においては、地方の村落から国の政治まで行われた

 

村落の最も古い宗家(ニヤ)の主人はニーッチュ(根人)と呼ばれ

その姉妹はニーガン(根神)と呼ばれ

村落の祭りの中心的な役割を果たし

 

さらに地方の領地を統治する、按司(国衆)の姉妹は

その領地の全ての神事、祭りの祭司である、ノロ(神女)と成る

 

オナリ神の持つ霊的守護力の概念が

兄弟から家族、家族から村落、村落から地域

地域から国へと拡張して行く

 

「エケリ」の琉球国王と、妹である最高位のノロ

聞得大君の「オナリ」は、強固な関係で結ばれて

琉球国を統治した

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祭&祀 【6】

2018年04月05日 08時03分44秒 | 日記

 オナリ信仰

オナリとは、ウナイ(姉妹)の意味で

ウナイ(姉妹)が、兄弟(エケリ・イキガ)を霊的に守護する考え

 

ウナイの霊力を信じる、オナリ神を信仰する、沖縄の信仰である

 

兄弟の守護者として、女性を神格化し

兄弟がいる、全ての女性は、オナリ神と成ると信じられ

 

沖縄の女性は一般的に霊力が強いと考えられ

祭を執り行う、「ノロ」やシャーマンである「ユタ」も女性である

 

オナリ神信仰は、沖縄宗教の基本概念の一つである

「おもろさうし」の中でも、オナリ神を詠った

おもろ謠が、多く見られる

 

この信仰から、イキガ(男)が漁や船旅に行くときには

ウナイ(妹)の髪の毛や手拭を、お守りとして貰う風習があった

 

この思想が、琉球王国の祭政一致の

基盤を作ったと考えられている

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祭&祀 【5】

2018年04月01日 00時00分50秒 | 日記

 沖縄の祭と祀は、何時のころから、祭と祀が行われたか

史料が皆無であるため、明確に知られていないが

 

自然発生的に、生まれたと考えられて

七世紀頃には原型が出来たと考えられている

 

沖縄の固有の信仰は、祖霊神・祖先崇拝・ヒヌカン(火神)

ニライ カナイ・オナイ神・セジなど

そして万物有霊などがある

 

祭り(祭祀)を行う、場所は、ウガンジュ(拝所)、グスク(城跡)

カー(泉・川)などに、神が降臨する、聖地を総称して

御嶽(うたき)呼ぶ

 

御嶽には、「イベ」あるいは「イビ石」と言う石碑があるが

神が降臨する依り代であり、御神体ではない

 

御嶽信仰は、祖霊神・祖先崇拝が元と考えられ

村落には、必ず御嶽が存在し、祭祀・神事は

神職者のノロ(神女)が執り行う

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祭&祀 【4】

2018年03月25日 00時02分00秒 | 日記

「政」は、古い時代から日本の神道において

祭祀を司る者、政治を司る者は

 

同じ意味であり、この「政」が一致した祭政一致といわれ

政治を、政(まつりごと)と呼んだ

 

古くは卑弥呼も「巫女」であり祈祷師であった

神の信託を得、執政したと云われている

 

平安時代にも、神職の陰陽師が官僚の役職に就き

大きな勢力を持ち政治に大きく関与したと言われている

 

また地方の集落においても

「まつりごと」と祭りの一致の「政」が行われ

その年の吉凶を占う、綱引きや競船などの勝敗によって

穀物の豊作、豊魚を、占う「まつり」であり神事である

 

執政者は、政と祭りの祭政一致で国を治めた

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祭&祀 【3】

2018年03月20日 00時02分08秒 | 日記

 「奉り」は奉る(たてまつる)とも読み

献上・送る・供える、神道の神や仏、天皇・公家に

奉納する行為をさすことが、奉りである

 

その起源は、自然崇拝である、古神道にある

日本神話の海幸彦と山幸彦の釣り針や弓矢を幸といい

 

神に供え物を捧げる、海の幸・山の幸を

漁りや狩りを得る道具であった

 

古くから、猟人や漁師は獲物を獲ると神の分として

大地や海に収穫の一部を還した

 

また、農業・林業・水産業などに係わる職業

現在の酒造、陶器などの生業としての、神事や

各地域の「奉り」にもあり、地鎮祭、上棟式でも

お神酒や御米が大地に還される

 

また大相撲も奉納の奉りであり、神事でもある

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祭&祀 【2】

2018年03月15日 00時02分04秒 | 日記

「祭」の語源は、まつり・まつるで

漢字が日本に入り、祭・祀・奉り・政(まつりごと)と漢字が充てられ

 

現在では、祭りと祀り、また奉りも同義語とも言われている

漢字の由来とともに意味も分かれていった

 

祭は、魂・霊・御霊を慰霊するものであるが

祭りの漢字の本来の意味は葬儀のことである

 

古神道の一つである、先祖崇拝は、神仏習合として

今に伝わるお盆がある

 

また家畜、うなぎなどの慰霊するための

祭りが、日本各地域で行われている

 

「祀」は神に祈願し、信託を受け

神職、神女が行う儀式である

 

古代より続く民間信仰で

山や森、巨石、巨木などに、宿ると信じる信仰で

その神、祖霊神に、祈ることである

 

祠や塚など建てて、神を招いて

日々の守りや感謝を祈ようになっていく

 

後に社殿など建立し、神霊を招き、鎮座した神霊を饗応し

神霊を慰め、感謝と祈願をする

 

祭儀・儀礼を行われるのが神社神道である

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祭&祀 【1】

2018年03月10日 00時02分16秒 | 日記

 祭は、日本において、祭りは慰霊のため

神・仏・先祖を敬い感謝や祈りを捧げる行為で

供え物などを捧げる祭礼・祭儀・祭祀の儀式である

 

神への感謝の祭礼・儀式は、世界各地にもある

キリスト教以前の欧羅巴に風習として

収穫した穀物で人体のパンを作り祭壇に供える、祭儀があった

そうして分割して食した

 

この風習はキリスト教の礼典の一つ聖餐式として

二千年たった現在でも続けられている

 

世界各地域には、さまざま型を示す儀式があるが

古儀式の祭りは、主に収穫の祭りであったとされている

 

農耕社会においての、豊穣への感謝

また祭壇に動物の、生贄を捧げる儀式などもある

ともに、命によって豊穣が得られるものであると信じる信仰である

 

祭りは超越した、自然的に存在への祈りで

感謝・崇敬・帰依、そうして謝罪の許しなどを祈願する行為

 

教儀や教より、慣習、儀式に力点を置いた

祭りは、本質的には民族宗教である

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